(島根県益田市) 毎年9月1日
益田市三大祭りのひとつで五穀豊穣を願うお祭り
高津柿本神社八朔祭は益田市三大祭りのひとつで五穀豊穣を願うお祭りです。
祭りが行われる9月1日は高津柿本神社の祭神である天武・持統・文武の三天皇の時代に宮廷歌人として仕え、万葉集に多くの歌を残した歌人・柿本人麻呂生誕の日と伝わり、鎌倉時代頃からは武家の節句として武術奉納の祭日でした。稲が実り始める時季であることから、のちに農家の節句として、五穀豊穣を祈願するようになったとされています。
神社では島根県西部の石見地域で演じられる石見神楽の奉納が行われ、奏楽の音色と豪華絢爛な舞を見ることができ、夕方の17時からは高津流鏑馬神事が執り行われます。
高津流鏑馬は1661年(寛文元年)に始まったとされる古来からの伝統行事です。従来は柿本神社の参道で二日間にわたって行われており、神事色の濃い行事でしたが昭和50年代に入ると高度経済成長により地区の生活形態も様変わりし、農家の機械化が進み、流鏑馬の原動力となる農耕馬の減少が顕著になり数年間、やむなく中断となりました。いったん昭和59年に地区民の努力により再興しましたが、不況による資金難や会員の減少等により平成13年を最後にあえなく途絶えました。
しかし平成17年、地元の若者を中心に約60人が、高津やぶさめを神事としてではなく地区古来の伝統行事として位置付けて継承、発展させることを目的に高津やぶさめ保存会を再結成し、9月1日の夕方5時から、一級河川高津川左岸河川敷内のやぶさめ公園にて復活し現在にいたっています。
当日は13時半に装束と馬装を整え、15時に柿本神社に到着し「鏑矢奉献の儀」(玉串奉献)を行います。その後、扇方(おおぎかた)を先頭に旗方(はたかた)、奉行(ぶぎょう)、日記役(にっきやく)、的目付(まとめつけ)、矢取(やと)り、幣方(へいかた)、射手(いて)、そして神馬、計23名と馬3頭が約30メートルの隊列を作り、1時間をかけて高津地区を巡りながら河川敷の馬場まで行進し、17時より流鏑馬が行われます。
3組の射手と馬は「破の太鼓」を合図に騎射を2度行います。1度目は「素駆(すば)せ」と呼ばれる馬場ならしで1騎1回(計3回)、2度目の「式の的」では1尺8寸の的を1騎3回(計9回)騎射します。騎射が終わると「凱陣の式」をとり行い、流鏑馬神事は終了となります。
高津柿本神社
島根県益田市高津町上市イ2612-1
アクセス
車◉益田駅より10分
バス◉二条線「人丸下」下車(乗車時間8分)すぐ
蟠竜湖線「高津」下車(乗車時間7分)徒歩5分
高津柿本神社の起源
柿本人麻呂が祀られており、(国重要美術品)正一位柿本大明神の神位を持ち、 疫病防除、開運、学問、農業、安産、眼疾治癒、火防などのご利益があります。入母屋造の本殿は県建造物文化財です。
その歴史は、人麿没後まもなく神亀年間(724~729)に、聖武天皇の勅命によって終焉の地である鴨島に人麿を祀る小社が立てられましたが、300年後の万寿3年(1026)の大地震で島は海底に沈み、人麿のご神体も津波で流され、現在の高津松崎に漂着しました。そして地元の人によってこの高津松崎に人丸社が建てられ、 長い間人々の信仰を集めたとされており、更に600年後、風波のため破損がひどくなったため、1681年に津和野藩主亀井茲親(これちか)によって、高角山(標高約50m高津城跡)に移築され、今に残っています。拝殿は津和野城から参拝できるように津和野の方向へ向いています。
取材後記…
凛々しい神馬たちは普段は益田市内の『さんさん牧場』にいます。神事当日の勇ましい姿も素敵ですが牧場に訪れてみましょう。祭りの日とは違うほっこりとした姿が見られますよ!(写真はアスールアラテラくん。お父さんはディープインパクト!以前は中央競馬・地方競馬でも活躍していました。)文/邦馬