UMATO

2024年12月07日 (日)

 自分の担当馬で一番思い出に残る馬は?と質問されたら、迷わずこの馬を選ぶだろう。

 マチカネコイノボリ(牡、父 キタノカチドキ  母 クリプシー 1987~1988在厩)

 1987年初旬、暴れ馬コーシ(マチカネコーシ)との壮絶な戦いに勝った?(多分…)僕に、「今度の馬は怪我で入るのが遅れたけど、能力ある馬やからしっかりやれよ!」と伊藤雄二先生に言われて担当したのがコイノボリだ。

 牧場時代の怪我で下の歯がズレていて、飼葉食いが悪いのが難点だった。

 でも身のこなしは抜群で調教タイムも優秀。調教助手も「どこ使っても勝てるで!」と言っていた。

 それだけではない。コイノボリは優しくて性格抜群、運動や調教は素直で従順、寝藁を汚さないという厩務員として最高の馬だったのだ。

 僕が他の馬で出張に行ってる間に、当時競馬学校3年生だった千田輝彦騎手(現調教師)がコイノボリのお世話をしてくれていて「めちゃめちゃ可愛いですね!馬房にボロ(馬糞)を取りに入ると、ずっとくっついてきます。ネズミが出て、それをモグラ叩きみたいにして遊んでいました。」と嬉しそうに話してくれた。

 本当に可愛くて、見つめられたらついつい人参をあげて、首から顔を抱きしめていた。

 デビューが5月上旬と決まってすぐ、大阪の松屋町の問屋街で小さめの鯉のぼり(赤と青)を買ってきて、馬具屋さんで別注メンコを作ってもらった。コーシのロッキーメンコを許してもらった事で、多分伊藤雄二先生や細川益男オーナーにシャレが通じると思ったのだ。

2枚作った鯉のぼりメンコを付けた僕とコイノボリ

 1987年5月9日。新馬戦は無く、3歳未勝利戦でのデビュー。経験馬相手に単勝1.8倍の1番人気で、中段から直線大外を回って見事快勝!

デビュー戦のパドックのコイノボリ

 洒落っ気のある馬名で有名な細川益男オーナーも鯉のぼりメンコを喜んで下さり、勝った後、多くの知人を引き連れて来られて、勝ち馬写真はまるでG1のようだった。

デビュー戦勝ちで写真撮影に向かうコイノボリ。レース中は外した鯉のぼりメンコをまた付けた。

 その後も安定した成績を残したコイノボリだったが、後方からの追い込みで惜しくも届かずのレースが続き、勝ち切れないもどかしさもあった。

 初入厩から約1年間放牧に出なかったコイノボリも体重減などで疲れが見え始め、次のレース後に放牧が決定となる。

 そうして迎えた運命の1988年2月13日京都競馬場「斑鳩特別」(現3勝クラス)。

 レースはいつものように後方からの競馬で、3コーナーから徐々に上がっていった。しかし直線大外を走ってくるはずのコイノボリの姿がない。「4コーナー……競走中止…」と、場内アナウンスが聞こえた時にはもう僕は馬場へ走り出していた。

 途中で奇跡的に無傷だった河内騎手に出会った。「大丈夫ですか?」と聞くと「俺は大丈夫やけど、馬はあかん…」と言い首を横に振った。

 もう分かってはいた。コーナーで骨折転倒した馬が助かる訳がない。

 事故の場所に着くと、もう外から見えないよう黒い幕がかけられていた。係員の「厩務員さんは行かないほうがいいですよ」の言葉を振り切って現場へ向かった。

 コイノボリは前脚の膝から下が皮一枚で繋がっている酷い状態で、立ち上がる事ができない。だが僕の顔を見つけると「ブフッ」と鼻を鳴らし、逆の脚の膝を曲げて立とうとしたのだ。

 それを制するように、僕はいつものようにコイノボリの首を抱きしめた。「もう立たんでええ、走らんでええ…」涙がとめどなく流れた。

 その後、獣医師の「(注射)打ちますよ」の声が聞こえてすぐ、僕の腕の中でコイノボリの鼓動がゆっくり止まり命が消えた…

 コイノボリとの出会いから別れまでの濃密な1年間は、何年経っても色褪せる事無く、僕の心の中に残っている。

 これからもずっと…

田中一征

1960年大阪府泉大津市生まれ
JRA栗東トレーニングセンター梅田智之厩舎厩務員
元伊藤雄二厩舎でワコーチカコ、エアグルーヴ、ファインモーションなどを担当。今年で42年目となり来年の夏に定年退職予定。

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