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2025年02月15日 (土)

2013年 日本ダービー©スポーツニッポン新聞社

キズナ
Kizuna

牡、2017年3月5日生まれ
父ディープインパクト
母キャットクイル
母父ストームキャット
馬主/前田晋二氏
調教師/佐々木晶三
生産牧場/ノースヒルズ
通算成績/14戦7勝

 2024年、キズナがJRAの種牡馬ランキングで1位になった。種牡馬6年目で初の首位獲得だった。祖父サンデーサイレンス→父ディープインパクトに続く父子3代のリーディングサイアーは日本競馬史上初めての快挙になった。

 産駒の重賞勝ちはジャスティンミラノの皐月賞をはじめ15勝を数えた。24年の1年間で342頭が1438戦し、このうち131頭が189勝を挙げた。産駒の入着賞金の合計は42億5123万5千円に達し、2位のロードカナロアに4億円あまりの差をつけた。同時に2歳部門でも1位になり、種牡馬2部門を独占した。

 11年3月11日、東北地方を東日本大震災が襲った。その時、ドバイワールドカップに出走するためアラブ首長国連邦に遠征していたのがトランセンドだった。

 トランセンドはキズナと同じノースヒルズが生産したGⅠ馬だ。東日本大震災の直後に行われた、この年のドバイワールドカップではヴィクトワールピサが優勝し、トランセンドが2着に健闘。日本馬が上位を独占した。

 東日本大震災で被災した日本に勇気を与えた。震災からの復興に手を取り合う人たちの頑張りに感動したノースヒルズ代表の前田幸治氏は10年生まれの1歳馬の中の最良の馬に「キズナ」という馬名をつけようと決めた。

 選ばれたのが父ディープインパクト、母キャットクイルという血統の青鹿毛の牡馬だった。半姉のファレノプシスは桜花賞、秋華賞、エリザベス女王杯とGⅠ3勝した名牝だ。文句なしの良血馬だったが、唯一の不安はキャットクイルが20歳の高齢で出産したことだった。

 

2013年 日本ダービー©スポーツニッポン新聞社

 そんな不安を感じさせることなく、キズナはすくすくと成長した。栗東の佐々木晶三厩舎に入ってからの調教でも素晴らしい動きを披露し、能力の高さを見せた。「絶対クラシック戦線に乗せたい」と佐々木晶三調教師の期待は膨らむばかりだった。

 12年10月のデビュー戦、続く黄菊賞と2連勝して臨んだ2歳最終戦のラジオNIKKEI杯2歳Sは3着。3歳初戦の弥生賞も5着に終わり、皐月賞の出走はかなわなくなった。だが、そこからの逆襲がキズナらしかった。地元に戻り、関西地区の毎日杯、京都新聞杯と重賞レースで2連勝を飾り、目標のダービー出走にこぎつけた。

 1番人気の支持を受けたキズナは1枠1番からスタートし、いつものように後方を進んだ。最後の直線で前の馬が進路をふさぐような場面もあったが、キズナと武豊騎手のコンビはこのピンチを乗り越えて、1頭だけ別次元の伸び脚を繰り出した。ゴール寸前でエピファネイアを捉え、半馬身抜け出したところがゴールだった。

 25年はディープインパクトのダービー優勝から20年。その産駒キズナのダービー制覇から12年に当たる。この親子の手綱を取っていた武豊騎手は55歳の今も現役を続ける。今後もしキズナの子に騎乗してダービーを勝つようなことがあれば、父子3代、同じ騎手でダービー優勝という大記録が達成される。キズナのリーディングサイアー獲得は、そんな夢を抱かせる前兆だ。

有吉正徳

1957年、福岡県出身。82年に東京中日スポーツで競馬取材をスタート。92年に朝日新聞に移籍後も中央競馬を中心に競馬を担当する。40年あまりの取材で三冠馬誕生の場面に6度立ち会った。著書に「2133日間のオグリキャップ」「第5コーナー~競馬トリビア集」

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