今週はエリザベス女王杯。1996年に古馬へと開放されると「リピーター」が多く出現するレースとなった。98、99年メジロドーベル。03、04年アドマイヤグルーヴ。10、11年スノーフェアリー。19、20年ラッキーライラックの4頭。それだけ京都2200mという条件が、ある意味、特殊でスペシャリストを生みやすいコースなのだろうと想像できる。
ただ、ラッキーライラックの女王杯2勝目は、京都競馬場の改修工事に伴い、阪神でマークしたものだった。京都と阪神の2200mは、同じ距離でもコースの形態が全く違う。阪神は内回りで急坂を2度も駆け上がる特異なレイアウト。だから、同じエリザベス女王杯連覇といっても、ラッキーライラックのケースは非常に価値が高いと考えている。
ラッキーライラックを担当したのは丸内永舟助手。かなり初期からX(旧ツイッター)で情報発信をしているので、ファンの中にはよく知る人も多いだろう。
かつて山本正司厩舎では05年天皇賞・秋を制したヘヴンリーロマンスを担当。あの一戦は天覧競馬だった。ウイニングランの後、松永幹夫騎手(現調教師)が馬上で行った最敬礼は、競馬史における最高のシーンのひとつだ。
山本正司厩舎の定年解散に伴い、松永幹夫厩舎へと移る。松永幹夫厩舎でもラッキーライラックを活躍に導き、ヘヴンリーロマンスの子であるアウォーディー、アムールブリエ、ラニで国内外を飛び回り、重賞制覇を量産してきた。
筆者も何度も話を聞いてきたが、栗東トップクラスの腕利きでありながら、おごる態度は一切なし。長身のイケメンで、見た目通りに爽やかな方だ。
その丸内永舟助手に感謝してもしきれないことがあった。05年12月24日。第50回有馬記念の前日のことだ。
この年のグランプリの主役は3歳馬ディープインパクトだった。デビューから7戦7勝で3冠制覇。「走っているというより飛んでいる」と武豊騎手が称賛するスーパーホース。その歴史的名馬が無敗のままグランプリも制するのか。この日、中山競馬場入りするディープインパクトの姿を狙うべく、テレビを含めた報道カメラマンが関西馬出張ゾーン、池江泰郎厩舎の馬房の前に集結した。
馬運車が横付けされた。後部から降りてくるディープインパクト。その時だ。「お兄ちゃん、そこの自転車どかして!」というカメラマンからの声が上がった。どうやら馬運車から降りて、軽く周回しているディープインパクトの前か後ろかにある自転車が、撮影の何らかの妨げになっているようだった。カメラマンが声をかけた先にいたのは…ヘヴンリーロマンスをグランプリに出走させるべく、先に到着していた丸内永舟助手だった。
これはいかんと思った。ナリタブライアンの頃から“過熱した取材”に対して怒ったり、嫌みを言うスタッフは多かった。いや、それは当然なのだ。トレセンで運動をするのはGⅠ出走馬だけではない。いろいろなスタッフのいろいろな馬も運動する。そこに、いきなりカメラマンが集合しては馬も驚く。報道する側も気を使い、わきまえるのがマナーなのだ。
ところが「自転車をどかせ!」とは…。筆者はすぐに丸内永舟助手の元へと向かった。「すみません!僕がどかします。どうか気を悪くなさらず!」。丸内永舟助手は表情ひとつ変えず、むしろ笑みすらたたえながら、こう言って自転車を動かしてくれた。「いいんですよ!気にしないでください」
あのケースで自転車のそばにいたのが丸内永舟助手でなかったら、どうだったか。抗議の声が競馬場に届けば、次から撮影の制限がかかったかもしれない。自らもグランプリに出走させる立場(しかも天皇賞馬)でありながら…。丸内永舟助手に心から感謝した。
ヘヴンリーロマンスはその有馬記念で6着。牧場へと戻り、子供たちが丸内永舟助手とともに活躍しているのは前述の通りだ。競馬の神様は、しっかり見ているのだ、と思う。