UMATO

2025年11月08日 (土)
京王杯2歳S / 京都ジャンプS

 今回も思い出に残るスプリンターズステークスと、その優勝馬を紹介したい。07年の勝ち馬アストンマーチャンである。

 04年生まれだからウオッカ、ダイワスカーレット世代。石坂正厩舎に所属し、2歳夏の小倉でデビュー。小倉2歳Sを勝ち、勢いに乗ってファンタジーSも制覇。阪神ジュベナイルフィリーズはウオッカとの首差の勝負で2着に敗れたが、フィリーズレビューでは2馬身半差の完勝を収め、早くから豊かなスピードを見せつけた。

 桜花賞は7着、北九州記念で6着に敗れた後、臨んだのがスプリンターズSだった。

07年スプリンターズSを制したアストンマーチャン。馬上は中舘英二騎手。左から馬主の戸佐眞弓氏、石坂正師©スポーツニッポン新聞社

 鞍上に指名されたのは中舘英二騎手(現調教師)だった。石坂師は「それまでアストンマーチャンに乗っていた騎手、全員に断られたから」と説明したが、それは同師一流の照れ隠しではないかと推察する。それまで自厩舎の馬に何度も乗ってもらった中舘騎手が、きっとアストンマーチャンにフィットすると直感しての指名だったはずだ。

 栗東へと足を運び、アストンマーチャンの性格などを把握して迎えたレース当日。アストンマーチャンは果敢に逃げた。ローエングリンがロケットスタートを切ったが、中舘騎手は迷うことなくアストンマーチャンを促し、先頭を奪った。

 美しい逃げっぷりだった。アストンマーチャンの馬上で1メートル52の中舘騎手が背中を丸めている姿はもの凄く自然で、人も馬もストレスなく推進していることが目に見えて分かった。200メートルも進まないうちに、これはアストンマーチャンが逃げ切るな、と予感した。

 4馬身ほどの差をつけて4角を回る。この日は雨に祟られ不良馬場だったが、気持ちよさそうに走るアストンマーチャンに誰も迫ることができない。ゴール前、ようやくサンアディユ、アイルラヴァゲイン、キングストレイルが突っ込んできたが、4分の3馬身差、アストンマーチャンが押し切っていた。中舘騎手は右手を強く握りしめ、喜びを表現した。

 「GⅠを勝つことは、もうないんじゃないかと思っていた。すごくうれしいです」。お立ち台で中舘騎手はそう話した。94年、ヒシアマゾンで勝ったエリザベス女王杯以来、13年ぶりのGⅠ制覇だった。

 残念ながら、これがアストンマーチャン、最後の輝きだった。燃え尽き症候群にでも陥ったかのようにスワンS14着、シルクロードS10着と大敗を重ねた。08年春には原因不明のX大腸炎に冒され、その加療中に急性心不全で早世した。さっそうと競馬ファンの前に現れた快速女王は、あっという間に天へと走り去ってしまった。

 その後のある年の夏、札幌競馬場。調教を終えた中舘騎手が「最近、アストンマーチャンのお墓参りに行った」と教えてくれて、しばらくアストンマーチャン談議となった。彼女が持っていた豊かなスピード、勝負根性、GⅠ制覇の喜び、別れの悲しみ…。いろんなものをくれたと中舘騎手は教えてくれた。

 この機会にと、長年、抱いてきた疑問を中舘騎手にぶつけてみた。ローカル競馬をずっと大事にしてきた中舘騎手だが、中央場所にもっと乗れば、もっとGⅠ制覇のチャンスは広がる。なぜ、ローカルにこだわるのですか?

 中舘騎手の答えはこうだった。ローカルには自分の騎乗を待っている馬、人がいる。そういう期待に応えるのが自分の役目。自分がGⅠで勝つことより、そっちの方が優先されるのは当然だと。取材ノートにメモしていなかったので、正確な再現ではないかもしれないが、こんな意味合いだった。

 アストンマーチャンは子を残すことができなかったが、全妹ジャジャマーチャンは未出走から繁殖牝馬となり、トゥラヴェスーラ(23年高松宮記念3着)を出した。快速牝馬は天国から近親たちの走りを見守り、笑顔を浮かべていることだろう。

鈴木正 (Tadashi Suzuki)

1969年(昭44)生まれ、東京都出身。93年スポニチ入社。96年から中央競馬担当。テイエムオペラオー、ディープインパクトなどの番記者を務める。BSイレブン競馬中継解説者。

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