UMATO

2024年09月19日 (木)

緑も残り、起伏も多い台地が下総、葛飾に現在も拡がっています。
地方史にも古い頃から有数の野馬の生息地と記されてました。
馬への愛と興味が深まる中、調べると“馬”とそれに関する沢山の地名を目にするように…
自分の目と心で調べてみようと思い、この企画に取り組んで見る事となりました。
一番近い“その場所”を実際に訪ねてみました。
以前買い物に出かけたショッピングセンター駐車場に“野馬除土手(のまよけどて)”の一部が残り、辿って歩くと、高さ3メートルから5メートル程の土手が連なっていました。

奥行き
野馬除土手

野馬のそれがいた!

有数の野馬達が走る様を思い浮かべて見ると…それは現実味があります。
日本固有種の、脚の丈夫な馬達が群れで生息していたと記録され、体格、能力によっては将軍家の狩場であった縁から献上されたと、古くからそこで農家をしていた方が話してくれました。

 

今でこそ土地が区画整理され住宅地となっていますが、以前は木々にあふれた大地が広がり、鳥達の声が森から溢れていました。
江戸は中世以降大きく都市として整備されていったため、農地〜田畑広げ、放牧されている野馬がそこを荒らさないようにとの意味も土手にあった…なるほどと納得しながら歩きました。
土手の木陰が深く、暑い陽から少し逃げられ、わずかに風が通ります。

総延長百五十キロに達したと、土手に記した立て札も設置されていました。
それを読み、スマホで少々の調べ物をしつつ、土手を眺めるのは楽しいものです。

木戸

思わぬところも実は土手だったと発見し、大きかったであろう昔の全体的な土地を想像して、史を考えました。

 

最後の土手

この土手を築いて、年に一度、野馬を集めて人々は祭りのようにそれを催したとされたと言うのは納得しました。

七百頭の野馬。土手の内側の牧に集め行われた行事。
日本の同じような催しを考えると規模を想像出来ます。
いずれ訪ねたい※福昌寺には絵図が残り、その時の様子が描かれているそうです。
楽しみに沸く、馬との関わり…けれど明治以降の政策で放置、崩されていますが、今回訪ねた野馬土手は松戸市の重要文化財になっています。

資料によく名が出たのは徳川家で、徳川家康が行った牧場整理、小金三牧、印西牧、佐倉牧の設置。
徳川吉宗はそれをさらに整備。
幕府直轄として野馬奉行をおいて管理させたという。

そんな牧は現在、野田から千葉市に及び、柏近くには吉宗の狩場とされ、茶を飲んだ名水の地もあったのです。
その「徳川吉宗」に関しては、驚く記述もありました。

“ペルシャ産洋馬、導入!”

二十頭あまりをオランダ商人から求めて、日本馬の改良を試みたという…記録。
千葉は”牧”として進化した土地だったと、改めて認知しました。

もう少し歩いてみようか…
馬と近い場であると思うと、調べる事も楽しく、興味が繋がります。

少し、この”牧”を探してみようと思います。

七百頭前後の野馬達を捕馬した勇壮な風景を思い浮かべつつ資料を集める中

〜野馬除土手から捕馬〜へ続く

「野馬除土手」
千葉県松戸市五香8丁目44-6
プラッツ五香(商業施設)駐車場
アクセス:東武アーバンパークライン高柳駅 車で10分程度

参考サイト
千葉県教育振興部文化財課指定文化財班ホームページ 「下総小金中野牧跡」

真崎春望

12月20日生まれ 東京都葛飾区出身。
「愛を希望します」秋田書店でデビュー。秋田書店を中心に多数の作品を発表。
その後、ぶんか社、集英社、講談社など、多くの出版社で執筆し、ミステリーから伝奇ロマン、ロマンスもの、原作と幅を広げ現在に至る。また、創作ユニット「力俥亭」のプロデュースや短編映画の製作も手がけている。

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