(青森県八戸市) 毎年8月2日
藩政時代の姿を現在に伝える勇壮な伝統武芸
八戸三社大祭は毎年7月31日から8月4日までの期間に開催される八戸地方最大の祭りです。古式ゆかしい神社行列と、豪華絢爛な山車の競演が見もので、2016年12月、ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」に登録されました。その祭りの行事のひとつとして「加賀美流騎馬打毬」(かがみりゅう きばだきゅう)が行われます。
およそ300年の歴史と伝統を誇る八戸三社大祭は享保5年(1720)、凶作に悩む八戸の有力者たちが、法霊大明神(現在のおがみ神社)に天候の回復と豊作を祈願したところ、無事に秋の収穫を迎えることができました。その御礼として、八戸藩の許可のもと、武士や町人から寄進を募って神輿を建造し、享保6年(1721)に長者山三社堂(現在の新羅神社)に渡御したことが、八戸三社大祭の始まりと言われています。
やがてこの祭りには、八戸藩の有力な商人が買い入れた人形を載せて担いだ「屋台」や「虎舞」など、町民で編成した行列が参加するようになり、まちの安泰や豊作を祈願する大規模祭礼として発展していきました。
明治17年(1884)には新羅神社が、その5年後には神明宮の行列が加わって三社の祭りとなり、それまでの同じ人形を屋台に載せるスタイルから、毎年新しく作った山車を運行する形へと変化し、現在の祭りの原型となりました。
現在の八戸三社大祭は、行列の運行経路や参加する民俗芸能など伝統を保ちつつも、民話や歌舞伎などを題材として製作された27台の山車が祭りの余興「附祭」(つけまつり)として参加し、祭りをより華やかで迫力のあるものにしています。
祭りが行われる5日間は八戸のまちが独特の熱気に包まれ、期間中の人出は100万人以上となります。その中日、8月2日に長者山新羅神社では「加賀美流騎馬打毬」が古式ゆかしく行われます。「加賀美流騎馬打毬」は騎馬武者、4騎ずつが紅白に分かれ、毬(ボール)を長さ2メートル以上の毬杖(ぎっちょう)という道具で拾い、毬門(ゴール)へと投げ入れ、自分の色の毬を先に4毬入れたチームが勝ちとなる競技で、馬体をぶつけ合って毬を奪い合う姿は迫力があり、“東洋のポロ”とも呼ばれる古典スポーツです。馬はサラブレッドではなく、日本在来種の北海道和種という馬が出場することも特徴の1つで、東北の馬と人が生きてきた風景を現代に伝えています。馬産地で馬術が盛んな八戸藩において、文政10年(1827)、八代藩主・南部信真(のぶまさ)が武芸奨励ために始めたとされ、この種の打毬は国内でも宮内庁と山形県に保存されているのみとなっています。
八戸三社大祭は7月31日から8月4日の5日間に渡って行われる壮大なお祭りです
毎年2月17日~20日に行われる青森冬の三大まつりの一つ「八戸えんぶり」も有名で国の重要無形民俗文化財に指定されています。田畑の土をならす農具「えぶり」にその名が由来する、豊作を願う八戸地域に伝わる郷土芸能です。
長者山新羅神社
青森県八戸市長者1-6-10
アクセス
車◉八戸駅から20分
車◉八戸自動車道八戸ICから15分
バス◉八戸市営バス・南部バス「二十三日町」
「十六日町」下車徒歩10分
電車◉JR八戸線本八戸駅より徒歩20分
長者山新羅神社の起源
延宝6年(1678)に八戸藩2代藩主南部直政が、藩主の守護と領内の五穀豊穣・万民安穏・無病息災の祈願所として長者山の山上に建てたのが始まりです。細部の彫刻などに江戸時代の特徴がよく表現されているとして、本殿・拝殿は県の重宝にも指定されています。
文政10年(1827)8代藩主信真公が再改築して現社殿と同時に「桜の馬場」を開設、打毬の奉納も行われ、以来「加賀美流騎馬打毬」として今日まで奉納されています。また毎年2月17日からの4日間で八戸の冬の郷土芸能「八戸えんぶり」の奉納舞が行われることでも有名です。
取材後記…
加賀美流騎馬打毬に登場する馬は日本在来種の北海道和種(どさんこ)です。どさんこの性格は大変温厚で、厳しい自然に育ち鍛えられた強靭な体躯を持ち合わせています。どさんこといえば北海道、と思っていましたが、元々は東北がルーツで南部馬が北海道へ持ち込まれて飼育され育ったもの、と知りました。
取材協力・写真提供
一般財団法人VISITはちのへ
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八戸ポータルミュージアムはっち
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