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2024年11月21日 (木)

「寒川神社の例祭『流鏑馬神事』」

投稿日:

(神奈川県高座郡寒川町)毎年9月19日・20日

天下泰平・五穀豊穣を祈念して斎行される神事

寒川神社は古くから知られており、源頼朝、北条義時、武田信玄等の武将、徳川家代々の篤い信仰を受けてきました。

寒川神社は、相模國一之宮と称され、全国唯一の八方除の守護神として約千六百年の歴史を持つ神社です。古くは朝廷をはじめ、源頼朝、武田信玄、徳川家代々、さらには民間と幅広い信仰を受けてきました。現在は八方除の限りない御神徳を戴くために、全国各地から崇敬者が集まります。

毎年9月20日に例祭が斎行され、流鏑馬神事は前日の19日に奉納されます。

例祭は、祈年祭・新嘗祭とともに「三大祭」と呼ばれる祭典のひとつで毎年9月20日に斎行されます。寒川大明神の御神恩への感謝と更なる繁栄を祈念する祭典で、寒川神社においては年間祭典の中でも最も重儀な祭典に位置付けられます。例祭当日は、午前十時から役員・総代をはじめ、全国より崇敬者多数が参列し、厳粛に斎行されます。境内一円では献花、献茶、献句、盆栽展、奉納剣道大会、空手演武、奉納演芸等が行われ、夜には参道を照らす奉納提灯が並びます。

神殿を後にする鏑矢奉献(かぶらやほうけん)願文奏上(がんもんそうじょう)の儀を終えた射手のみなさん。その凛々しき姿に魅了されます。

寒川神社の「流鏑馬神事」は例祭の前日である9月19日午後2時より、天下泰平・五穀豊穣を祈念して御本殿西側馬場で斎行されます。この神事の歴史は古く、鎌倉時代には行われていたという記録が残っています。寒川神社においては、流鏑馬の神事を司る「馬太夫」と呼ばれる家筋の者が代々継承していましたが、現在は武田流(公益社団法人)大日本弓馬会によって奉納されており、神職も射手として奉仕します。神事に先立ち、『馬洗いの儀』『鏑矢奉献 願文奏上の儀』『天長地久の式』を終えると3つの的が設置された長さ約220mの馬場を馬が疾走します。勇猛果敢な射手たちが馬上で繰り広げる日本の伝統武芸は、見る人々を魅了し、時代を超えた雄大さを感じさせてくれます。

寒川神社の例祭は、「三大祭」のひとつで、残りの2つに祈年祭・新嘗祭の祭典があります。祈年祭は2月17日に斎行され五穀豊穣と産業振興を祈り、御神前では田打舞神事が奉納されます。11月23日に斎行される新嘗祭は秋に神々の恵みによる豊かな稔りを御神前に供えてそのお礼を申し上げる祭典です。

寒川神社

神奈川県高座郡寒川町宮山3916

アクセス
車◉圏央道「寒川北IC」から約4.5km、約5分電車◉JR相模線「宮山駅」から徒歩約5分

寒川神社の起源

寒川比古命(さむかわひこのみこと)と寒川比女命(さむかわひめのみこと)のニ柱の神を祀り、寒川大明神と奉称しています。寒川大明神は相模國を中心に広く関東地方をご開拓になられ、衣食住など人間生活の根源を開発指導され、関東地方文化の生みの親神様として敬仰されてきました。寒川神社は江戸(東京)から見て南西(坤)の地に鎮座しており、江戸(現在の皇居)の裏鬼門にあたります。また、通常社殿は南向き、もしくは東向きに建てられるのですが、寒川神社は南西を向いています。そのため、古来より関八州の守護神として、また江戸の裏鬼門をお護りする神社として崇敬され、とりわけ八方除・方位除の神様として信仰されてきました。

取材後記…

武田信玄は永禄十二年(1569)の小田原城攻めの際、寒川神社へ立ち寄り、兜を奉納したという逸話が残っています。その兜が寒川神社に現存しており、神奈川県の重要美術品として指定されています。文/邦馬

取材協力・文章/写真提供

寒川神社
https://samukawajinjya.jp
0467-75-0004

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