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2024年11月21日 (木)

「金刀比羅宮例大祭『御神幸行列』」

投稿日:

(香川県琴平町)毎年10月9日・10日・11日

金刀比羅宮の数ある祭典の中でも最も厳粛な祭典

象頭山の中腹に鎮まる御本宮。表参道から御本宮までの石段は全785段で片道30分ほどです。

金刀比羅宮(ことひらぐう)は、香川県 琴平町の象頭山に鎮座する神社で御本宮の御祭神は、大物主神と崇徳天皇です。古来から農業・殖産・医薬・海上守護の神として信仰されています。境内では、神様に奉仕する神職・巫女が一年を通して様々な祭典・神事を行っています。

その金刀比羅宮の「例大祭」は暦本に「金刀比羅祭」とある金刀比羅宮の特殊神事であり、もっとも重要な御祭です。

8月31日の「口明神事」
9月9日の「御幣立神事」
10月1日の「御厩神事」
10月6日の「指合神事」

主要な祭典は10月9日~11日の3日間に齋行されますが、例大祭は8月31日の「口明神事」から始まり9月1日に「祝舎地鎮祭」、9月8日に「潮汲藻刈神事」「潮川神事」、9月9日に「竃祓祭」「御幣立神事」、9月10日に「入宿神事」、10月1日に「御厩神事」、10月6日に「指合神事」、そして10月12日に「御幣下神事」、10月14日に「頭人三日詣」と「頭屋渡し」の神事、10月15日に「焼払神事」を齋行し46日間の長きにわたります。 

その期間は、「祝舎(いわいや)」での神事も含め、8月31日の口明神事から10月15日の焼払神事まで46日間にもわたります。主要な祭典である「宵宮祭」「御本宮 例祭」「御神輿渡御」は10月9日~11日の3日間に齋行します。

10月9日は午後4時から御本宮において「宵宮祭」を齋行し、祭典では八少女舞を奏進します。 

男のお頭人さんは乗馬、女のお頭人さんは駕籠に乗り、頭司・頭婆など供奉の者を従え、祝舎から参道を進みます。

そして10月10日は、年に一度、大神様が琴平山の麓の門前町に下りられる「お下がり」の日です。その御神輿渡御は、数百名が御本宮から町内の御神事場まで約2キロメートルを進む平安絵巻さながらの大行列です。その際、大神様の御神輿は、行列先頭の「お頭人さん」(おとうにんさん)と呼ばれる乗馬の男子児童2人と駕籠の女子児童2人に導かれます。邪心のない子どもたちは神を導くことができるとされているのです。

祝舎とは、齋舎の意味で、例大祭に奉仕するお頭人さんが精進潔斎する齋場のことです。その構造は極めて古雅清楚で、黒木と竹から成り、昔からの様式が守られ現在も変わっていません。祝舎での一連の神事を「祝舎神事」といいます。

「頭人式」を終えたお頭人さんは祓戸社で祓いを受け(修祓の儀)、御本宮へ参殿し「金幣式」をおこない、五人百姓の供応を受けます。 

昔は、琴平山の山麓の四条・五条・榎井・苗田の4つの村が毎年輪番で祝舎神事を勤めていました。祝舎は2カ所に設けられ、一つを上祝舎といい、一つを次祝舎といいました。祝舎の奉仕をする家筋は十数軒あり、子孫がこれを継承し、その家筋の者でないと奉仕ができない慣例でした。村の頭屋から選ばれた男女各2名のお稚児さんがお頭人さんとなり、祝舎に参籠、約1ヶ月間に及ぶ朝夕の神事を奉仕し、例大祭の御神幸に供奉しました。

午後9時、御本宮から御神事場まで御神輿が渡御いたします。お頭人さんを中心に数百名が行列を整える御神幸で約2キロメートルの道のりを2時間かけて進みます。
10月11日、早朝から御神事場は賑わい午前10時に行宮において「朝祭・献馬式」、午後2時に「講社祭」、午後4時に「還幸祭」を齋行し午後9時より御神輿は御本宮へ御還幸いたします。

時代の変遷とともに昔ながらの様式は難しくなり、昭和31年(1956)より祝舎は1ヶ所とされ、現在では御神事場に建てます。例大祭の主役であるお頭人さんも、広く全国の崇敬者の皆様から募集し、重要な祭典以外はお頭人さんの代わりに祝舎係が奉仕します。

祝舎ではお頭人さん・祝舎係の他に、祝舎神職・庄官・頭司・頭婆・五人百姓が奉仕します。祝舎神職は文字通り、祝舎を担当する神職のことです。庄官は、祝舎奉仕者を定めるなど、祝舎に関する一切を取りしきる者です。お頭人さんの食事を始めとする祝舎のあらゆる世話をする男女各1名の者を、男は頭司、女は頭婆といいます。五人百姓は、宝暦3年(1753)の香川庸昌の写本「讃陽綱目」に「古代神事掛りの百姓は五人なり。この山百姓五人は本家なり。御神の供奉して当地へ来たり、数千歳を経るは家筋歴々をいうべきなり」とあるように、古来より金刀比羅宮の神事の手伝いをしてくださってきた家筋の方々です。

表参道から全1,368段の石段。そこに奥社「厳魂神社(いづたまじんじゃ)」があり、金刀比羅本教の教祖である厳魂彦命が祀られています。

金刀比羅宮

香川県仲多度郡琴平町892-1

アクセス

車◉高松自動車道善通寺ICより車で約15分
電車◉JR土讃線琴平駅より徒歩20分、
琴電琴平駅より徒歩15分

金刀比羅宮のイラストマップ。御本宮など12の建造物が国の重要文化財に指定されています。
御本宮の前の広場は展望台になっています。讃岐平野の向こうに瀬戸大橋や讃岐富士などを一望できます。

金刀比羅宮の起源

〝こんぴらさん〟の名で親しまれている金刀比羅宮(ことひらぐう)の御本宮は、琴平山(別名「象頭山」)の中腹に鎮まります。

大物主神は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟、建速素盞嗚命(たけはやすさのおのみこと)の子、大国主神の和魂神(にぎみたまのかみ)で、農業・殖産・医薬・海上守護など広汎な神徳を持つ神様として全国の人々の厚い信仰を集めています。

神代の昔、琴平山は瀬戸内海に浮かぶ島であり、そこに大物主神は行宮を造られました。そのようないわれもあり、今もなお〝海の神様〟として広く親しまれています。

江戸時代中頃の桃園天皇の御代、金毘羅大権現を勅願所とすることが仰せ出され、1760年5月、日本一社の綸旨(りんじ)を賜わり、明治初年(1868)に至るまで毎年春秋の2回、禁中より御撫物(おなでもの)が別当に下賜され、宝祚悠久(ほうそゆうきゅう)を祈願していました。

このように金毘羅大権現は歴朝の尊崇を受け、また、諸国の大名武将から一般庶民に至るまで広く信仰され、全国的な航路の発展とともに航海者の信心を集め、全国に勧請(かんじょう)されて金毘羅講が各地におこり、その神徳はいよいよ高まっています。

取材後記…
実に数多くの見どころがある金刀比羅宮。奥社まで1,368段ある石段の中でちょうど500段目に木馬舎があります。この木馬舎は慶安3年(1650)讃岐国高松藩主、松平頼重から献納されたもので、木馬は京師田中環中斎弘教宗圓の作とのことです。文/邦馬

取材協力・文章/写真提供
金刀比羅宮
https://www.konpira.or.jp
0877-75-2121

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