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2024年10月09日 (木)

「坂下神社の秋季大祭『花馬祭り』」

投稿日:

(岐阜県中津川市)毎年10月第2日曜日

800年余の伝統のある五穀豊穣を願う祭り

花馬祭り前日に行われる神楽。下組の花馬一頭が花串を三本立て坂下神社に奉納します。

平安時代末期の信濃源氏の武将・木曽義仲(源頼朝の従兄弟)は、信州宮ノ越で幼少年期を送っており、日頃より坂下神社を参拝し祈願しておりました。

後に挙兵し、平家追討を果たした義仲は、寿永三年(1184年)に帝より征東大将軍の官位を賜りました。

この知らせが坂下に伝わると三郷(下組、合郷組、町組)の人々は歓喜してこれを祝い、幣をつけた矢を下組の馬の鞍に立て村中の代官、庄屋、組頭をはじめ村人が総出で行列をつくり音曲を奏でて神社を参拝し、義仲公の戦勝を報告しました。

小学生による祭りを盛り上げる手踊り。駅前・本町通り・神社で披露します。

これが「花馬祭り」の始まりと伝えられており、今でも祭りの前日には当時と同じように下組の馬一頭が坂下神社に参拝します。

現在、花馬祭りは毎年10月の第2日曜日に斎行されます。当日は朝の8時30分より子供による手踊りや、みこし練りから始まります。

実行委員と地域の代表者を先頭に90メートルにもなる花馬行列の一同が約30分かけて町内を巡り、坂下神社へと向かいます。

9時からは下組、合郷組、町組の3地区にてそれぞれ花馬の準備が行われ、午後の1時に各組の花馬が坂下駅へと向けて出発します。3騎の神馬が午後の2時に坂下駅に到着するといよいよ坂下神社へ向けての花馬行列の出発となります。

約90メートルの長さにわたる花馬の一行は30分かけて町内を巡り、坂下神社の境内に到着すると社の前を3周して奉納します。廻り終わると大太鼓の音が鳴り、祭りのクライマックスである「花奪り(はなどり)」が始まります。

神馬には365本の「花串」が飾られ、この花串は縁起物とされ、特に中央にある「サカキ」はもっとも縁起の良いものとされています。

神社への奉納が終わると祭りのクライマックス「花奪り」に。神馬に多くの参拝者がかけ寄ります。

花馬祭りは、当初は戦勝祝いでしたが、いつの頃からか農民の五穀豊穣を願う祭りに発展し、馬の鞍につける幣も花串になりました。現在でも坂下花馬保存会が中心となり、地域を挙げての祭りを行い歴史ある伝統を次世代に継承しており、平成20年9月には岐阜県重要無形民俗文化財に指定されました。

4月15日には春季大祭が斎行されます。

坂下神社

岐阜県中津川市坂下639

アクセス
車◉中央自動車道中津川ICから車で25分
電車◉JR中央本線坂下駅より徒歩10分

坂下神社の起源

坂下神社の創建年代は詳(つまび)らかではありあせんが、木曾義仲公が幼少期より度々参拝していたという伝承から、平安時代末期以前と推察されます。創建当初は社殿南面に方位して現社殿を主部とし三百米を越す参道があり、両側に12の社殿が点在する近隣に比のない立派な社でした。

寛文元年(1661年)1月、林野の火災の延焼により焼失。同年12月八幡宮として復興。明治5年、村内の数百神璽を合祀し坂下神社と改称、万世無窮を奉齋しています。

取材後記…
花馬祭りで活躍する神馬は日本の在来馬の木曽馬です。明治・大正期に西洋馬との交配が行われ一時絶滅寸前でしたが、『木曽馬保存会』が中心となり今では40頭以上が木曽において育成されています。文/邦馬

取材協力・文章/写真提供
やさか観光協会
https://yasaka-kanko.jp
0573-75-4444

坂下花馬保存会

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