昭和の時代は、年が明けて厩舎の1発目のレースや、自分の担当馬の新年の初競馬などを皆が「口明け」と言っていた。漢字で書くと「口開け」かもしれない。
そんな口明け競馬もとうとう定年を迎え、今年で終わり。こういう時が来るなんて、若かりし時代は考えもしていなかった。
そして厩務員ラストイヤーの2025年、僕の最後の口明け競馬の舞台は中京競馬場。
例年なら関西は京都競馬でスタートするのだが、阪神競馬場の改修工事の為に京都競馬場の負担が多くなっており、今年に限っては中京競馬場での新年開催となった。
3日間開催の最後の日、1月13日(月・祝)。
担当馬が中京競馬場の前半レース出走時は朝がとても早い。中京開催日のトレセン馬場開場は4時で、もう1頭の調教が1番乗りになるので、僕達の出勤時間はだいたい2時頃になる。
地方競馬は朝の調教時間が0時〜3時とかはザラで、これくらいで早いとか言ったら怒られそうだが、栗東トレセンの冬場は普段5時出勤くらいなので、開催日だけ2時になるのはちとしんどい。
そうして5時30分前後から馬運車への積み込みが始まる。他の厩舎との積み合わせなのでかなり待つこともある。
ここ最近は新名神高速道路が東名阪自動車道と離れショートカットされたりして、飛躍的に東海方面へのアクセスが良くなり、中京競馬場まで馬運車で1時間半程度になった。
昭和の時代は、道路状況が順調でも2時間半ほどかかっていたので、栗東を5時出発(1時起床)とかだった。この朝の1時間の差はとても大きく、今は本当にありがたい。
今回は1Rだったので、ほぼ休みなく準備に入る。僕は基本競馬場で大人しい馬はタテガミをリボンやテープで飾って編み込みをするのだが、阪神、京都、中京の1Rは時間があまりないのでやらない。というか、できない。
そしてこのアンデルマットは、牧場から帰ってきた時からタテガミが短くて、物理的に編み込みはまだ無理だった。
アンデルマットは最初僕が担当していて、ゲート試験に合格し放牧に出ていたが、昨年末帰厩した時僕が手一杯だったので、他の人が担当して新馬戦を使った(6着)。
今回また僕が担当する事になったが、上がり調子の2走目でかなり期待が持てた。
普段運動では大人しいので今回パドックからメンコを外してみたが、調教時より落ち着いていた。
この日は快晴で寒さも大したことなく、絶好のコンディション。
レースのスタートは普通だったが、鮫島克駿騎手が押して先行。道中3番手争いをしながら進んだ。
そして直線に入ってすぐ、逃げていた馬が飛び越えようと思ったのか内ラチに激突。先頭に出る勢いだったアンデルマットはその反動で怯み、スピードダウン。
もう一度立て直したが4着でのゴールとなった。
このアクシデントはひとつ間違えれば大事故につながっていたと思うので、全ての人馬が無事だったことは不幸中の幸いだった。
鮫島克駿騎手は「あれがなければ勝ってました。腰を落としてハミも外れてしまいました。」と言っていたが、皆が無事で本当に良かった。
アンデルマットは小さな擦り傷くらいしかなく、ダメージも最小限だった。
厩務員生活最後の初競馬はなんとも苦いレースになったが、またこれもいい思い出。
さて、また次頑張ろう!