栗東トレーニングセンターは、1969年の11月に中京競馬場と阪神競馬場の人馬が移動して、正式に開場した。翌年の1970年に京都競馬場からの移動が完了し西の3場が揃い、現在の体制になった。

武豊騎手が1969年3月生まれなので、栗東トレセンは彼とほぼ同い年ということになる。
彼が生まれた1969年あたりに、このシンザン像の坂道から事務所、社宅と続く道に桜が植えられた。
その武豊騎手と同級生の桜の木達はどんどん大きくなり、トレセンの春を彩る素晴らしい桜並木となった。
しかし道路に植えているという事での栄養管理の大変さと、桜の剪定技術の難しさで、普通のソメイヨシノの寿命である50年〜60年を超える事はできなかった。
2000〜2010年頃が一番ピークだっただろうか……それからだんだん老朽化し、枝が落ちるようになり、毎年のように剪定や補修を繰り返した。
そして大きな枝が朽ちて落ちるので危険という事で、今から2年前の2023年に坂道の桜は全て、他の地域の桜も一部伐採された。
残念ながら、昔の素晴らしかった時代の写真はないが、2019年の写真と、今年の写真を比べてみよう。


昔は毎年桜の季節になれば、この坂道から社宅方面の桜に提灯が吊るされて、夜はライトアップされていた。
桜まつりという意味合いでの提灯ライトアップは、コロナの影響もありこの2019年が最後となった。


社宅付近を探してみると、まだ武豊騎手と同い年?の古い桜の木も少し残っている。

そしてもうひとつ「トレセンの桜といえば!」という場所がある。
それは昭和から平成の初めの頃、皆がこぞって花見宴会をした、馬場近くの「たぬき山」の裏の桜の木だ。(栗東トレセン探訪①参照)
ここにはとても立派な桜が数本あり、下も芝生で開けていたことから花見の聖地と化し、桜の季節は各厩舎やクラブ、同好会などで場所の取り合いとなった。
最大で1日50人以上の人が集まった事もあり、皆さん遅くまで飲み明かしていた。
しかしここの桜もトレセン開場当時からのもので、老いて枝が落ちたり剪定されたりし、もう花が咲かなくなった木もある。その上、馬頭観音がここに移転されて場所もかなり狭くなってしまい、もう花見をする人もいなくなった。

というか、飲酒運転防止の意味で、お酒をトレセン厩舎構内の屋外で飲むこと自体が事実上禁止となったからもある。

坂道や社宅の桜、たぬき山の桜も、僕がトレセンで働き始めた1983年には立派に成長していて、ちょうど僕が退職する頃に終わりを迎えようとしている。
僕の厩務員生活を、一緒に戦ってきた同志といってもいい存在だ。

この若い桜の木が大きくなり、昔のような立派な花をたくさん咲かせる頃には、僕はもうこの世にはいないんだろうなぁ…
でも、今トレセンに入ってくる若者達を見守りながら、一緒に成長していくことだろう。