5/4(日)
前日の5/3(土)、新潟競馬場でのレースを終え、栗東に到着したのがこの日の1:30。
そこから新潟帰りの馬のチェックと、この日の京都競馬場5R出走のヒデノブルースカイの競馬の荷物の準備に取り掛かった。
前日に新潟で2頭の競馬の仕事をして、この日7:00に京都競馬場へ向けて出発。
64歳の爺さんがやる仕事としてはかなりキツいが、今までの感謝のご奉公と思えば全然大丈夫だ。
この前、中山で武豊騎手が僕の担当馬に乗ってくれた話を寄稿させてもらった。その中で「できることなら僕が辞めるまでに、武豊騎手と藤岡佑介騎手を乗せて競馬がしたい」と梅田先生にお願いしたという話を書いた。
そして、その2つめのお願いも叶うことに…
僕と同級生でかつて同僚だった藤岡健一調教師の息子さんである、佑介と康太。
この3人のホースマンの昔話は、このコラムのシリーズ物である「My respect horseman」でいつか書きたいので、ここでは割愛させていただく。
そんな僕にとって甥っ子のような感覚の佑介が、この日の京都競馬5R、ヒデノブルースカイに騎乗してくれる事になった。奇しくも武豊騎手が中山で乗ってくれた馬だ。
昨日の疲れはなく、京都競馬場に着いて少し休憩してから、ヒデノブルースカイの編み込みをした。
前回の黄色の星がすぐ取れたので、今回は遠目には黄色に見える新しい金色のシールにしてみた。



そして、装鞍所に出発しようとしていたら、うちの厩舎の助手から、「今日、佑介ができうる限り康太の馬具を使って僕の馬に乗るとゆうてました」というLINEがきた。
一緒に添えられていたのは、前検量の際のゼッケンと鞍と康太のマークの入った腹帯の写真だった。
厩舎から出発して装鞍所で運動している間、涙が溢れてきて止まらなくなった。



昨年の3月末、トニ男(コパノアントニオ)に康太が騎乗してくれた際、パドックから地下道で「来年の6月くらいに定年で、最後の競馬は佑介か康太に乗ってほしいな!佑介が函館とかやったら康太頼むで!」と僕が言ったら「えっ!?田中はんもう来年定年か…まかしといて!」と返ってきた。
康太の事故はその2週間後のことだった…
康太の告別式の時に、僕はその時の話を佑介にした。多分それで今回「2人で乗る」という意味合いで、佑介が康太の馬具を用意してくれたのだろう。
パドックでは前回の武豊騎手と同じく、僕が佑介の足をあげさせてもらった。
その時佑介が、ズボンの裾を少しめくり上げて「康太の靴下も履いてきた」と満面の笑みでピンクの靴下を見せてくれた。
その佑介の笑顔を見て、ずっと涙ぐんでいた僕もついつい笑ってしまった。


レースは、これまで全てゲートを出遅れか出負けしていたブルースカイが、何と普通に出て先行した。
これも2人分の力かと思ったが、1400mは長かった……直線は失速。
上がってきた佑介は「スタート良かったので、思わず勝ちにいってしまった」と苦笑い。


成績は残念だったが、久しぶりに気持ちのいいレースだったし、佑介の優しい配慮で一生思い出に残るレースとなった。

ありがとう、ブルースカイ!これで放牧だが、次の担当者の元でもっと出世してくれよ!