このコラムを書かせていただくようになってから、「定年退職までに、こうなったらいいな…」とかをよく言ってきたが、ほとんど叶ってきた。
馬の成績の良し悪しの事ではない。こればかりは厩務員の力ではどうしようもないし、良ければ感謝、悪ければ腐らず頑張る、それだけだ。
そして、厩務員として最後の週のレースが決まった。
ダイシンラーが5月31日(土)東京競馬場7R。コパノアントニオが6/1(日)京都競馬場9R。
この2つのレースをもって、43年働いた厩務員としての仕事が終了する。
色々な選択肢があったのだが、梅田先生が僕の希望をできうる限り叶えてくれたと思われる。
この前の新潟競馬場遠征が最後の泊まり出張と思っていたが、5月30日(金)、これが本当の厩務員人生最後の出張として、東京競馬場へと向かった。
僕ら厩舎関係者は東京競馬場の事を皆「府中」と言う。「東京」と言ったら意味が広すぎるからだろう。
友人がかつてベロベロに酔っ払って府中駅前からタクシーに乗って、回らない舌で「ふちゅーけいばじょー」と言ったら、府中刑務所の正門に連れて行かれたという笑い話がある。
伊藤厩舎時代の途中から、東京競馬場への遠征がやたら多くなった。これはちょうど関西馬と関東馬のレベルの差が逆転した頃からだが、下のクラスでもかまわず遠征し、よく勝たせていただいた。
関西馬の滞在馬房数も中山の3倍くらいあったので(現在は同じくらい)、東京のほうが遠征するハードルが低かったという理由もある。
Gレースも勝たせてもらったが、勝利数自体も多く、競馬場別なら、京都、阪神、札幌に次ぐと思う。
しかし、梅田厩舎に移った頃から、関西馬の未勝利と古馬1勝クラスは、東京と中山に関してはフルゲート割れしていないと使えないというルールができて、昔のように頻繁に東京競馬場に行く事がなくなった。

今回は約5年ぶりの東京競馬場遠征となる。
久しぶりに来たが、厩舎構内はほぼ変わっていなくて、かなりボロくなっていた。昔初めて来た頃は、関西馬メインの滞在厩舎エリアなどはかなり新しかったのだが、時代の流れを感じるねぇ…


今回は滞在厩舎エリアではなく、当日輸送厩舎で少し残念だったが、ダービーの週で関西馬入厩がとても多く、美浦回りの可能性もあったので良しとしよう!
久しぶりもだが最後なので、今回は過去の思い出を辿って、競馬場内や府中の街をのんびり歩いてみた。





若い頃は京王線の府中駅前や東府中駅前などでの飲み食いはもちろん、電車に乗って新宿や渋谷まで行き、よく遊んだ。
両方の駅は、その頃とは大きく様変わりしていて、もう昔の面影はない。

厩舎門から正門の方から、歩いて府中駅前に向かった。
この競馬場を周る道も、若い時は夕方にランニングしたりしたものだが、今はもう歩くしかできない身体になってしまった。
競馬場正門の道路を挟んで斜め向かいに、馬頭観音がある。東京競馬場で亡くなった馬達の慰霊もされていて、関東調教師の名前がのぼりに書かれていた。



府中といえば、東京競馬場の他には「大國魂(おおくにたま)神社」が有名だ。
かつてゴールデンウィーク中に東京競馬場へ出張した際、府中で一番のお祭り、大國魂神社での「くらやみ祭り」をやっていた。
競馬のお客さんをも巻き込んで物凄い人が詰めかけたが、僕らも一緒に参加して楽しんだ記憶がある。


この日の夜は、関東在住の飲み友達が僕の最後の関東での競馬と言うことで駆けつけてくれ、府中駅前でお別れ会を開催。
かつて小林稔厩舎でエモシオンやアドラーブルといった名馬を担当していた、石井正広調教助手(現・平田修厩舎)も出張していたので、一緒に昔話に花を咲かせた。彼は今年の9月に定年退職で、僕の同級生だ。

現役厩務員として最後の府中の夜を満喫し、いよいよ関東での最後のレースを迎える!
つづく