6/1(日)に事実上の最後の仕事が終わり、退職までの有給休暇消化期間として、長期の旅行などを楽しんでいた。
そして7/9(水)、トレセン内に入る為の通行証や健康保険証を返し、この日をもってJRA厩務員の職を正式に解かれる事となった。
厩務員としてトレセン内に自由に入れるのも最後なので、18年間お世話になった梅田厩舎に退職のご挨拶をするべく、最寄りの倉見門からトレセン内に入った。
西厩舎地区は栗東トレセン探訪シリーズ②でやったが、東地区はまだだったので、この機会にご紹介させていただく。

倉見門から真っ直ぐ直線を見ると、トレセンで一番南北に長い道路になる。
どこにどんな厩舎があるか?というのはセキュリティの問題で公開できないが、東西に厩舎が20ずつほど並んでいる。

僕が14年ほど通った梅田厩舎は、倉見門に入ってすぐ左を曲がった、一番東の端の厩舎群の中にある。
この普通の日常の通勤が無くなるというのを実感するのは、もう少し先になるのかな?


梅田厩舎に入り、先生をはじめその時仕事をしていたメンバーにお別れを告げた。
梅田厩舎での活動は約18年間だが、初期は引っ越しに明け暮れ、この厩舎の場所に移ってからは14〜15年ほど。
「ここでたくさんの馬やツバメの巣立ちを見送ってきたよなぁ…」なんて思いながら帰ろうとしたら、洗い場にトニ男がいた。前走小倉で追い込んで4着と頑張っていた。
トニ男に「よう頑張ったな!元気でな!」と、お別れを告げて厩舎を後にした。




梅田厩舎は東の一番端だったが、壁の向こうは道路でその先は住宅街や小学校などがある。
昔は子どもたちが登下校中に騒いで馬が暴れたりしたこともあったが、今は子供が少なくなったし「中で働いているお父さんが怪我するかも」という教育が行き届いて、最近はとても静かだ。

僕は昔から、西地区と東地区の幅広い地域で働いてきたので、栗東トレセンの中は完璧に把握してるが、いまだにどこの厩舎がどこにあるか、ほとんど知らない。
分かるのは仲の良い調教師や、友人の厩舎くらいだろう。

東厩舎地区を歩いていると、2厩舎だけかつての古い厩舎があった。
1つは、20馬房以上の厩舎の離れとして数馬房使われていて、もう1つはもう廃墟化していた。


こうして、厩舎内を改めて周って見ていると、昭和~平成~令和の42年間の栗東トレセン生活が鮮やかに蘇ってくる。