厩務員定年を控えた今年の春頃、「田中さん、定年するにあたってエアグルーヴやファインモーションの裏話などを聞かせて下さい!」など、いくつかの競馬メディアの取材を受けさせていただいた。
そこで「よく一番思い出に残る馬やレースは?」など聞かれたが、「まぁエアグルーヴやファインモーションは別格ですが、今となってはどの馬もどのレースも素晴らしい思い出です」など、ちょっと格好つけた曖昧な返答しかしなかった。
まあそれは本心で、「どれが一番好きな馬だったか?」と言われても、時代の違う馬たちに順位を付けるのはかなり難しい。
未勝利で去っていった馬にもめちゃめちゃ可愛い馬もいたし、成績は良くても好きになれない馬もいた。
でも「あえて担当馬No.1を選ぶとしたら?」と言われたら、Gレースを勝った馬を差し置いて、僕はこの馬を選ぶと思う。
マチカネハナノエン(牝、父 パークリージェント 母 マチカネヤヨイ 1991〜1992 伊藤雄二厩舎在籍)
愛称はハナちゃん。

この馬は1990年の年末か1991年の初頭に初入厩し、僕の担当馬となった。
初めてこの馬の血統を見た瞬間、「あ、マチカネクロカミ(父 ニチドウアラシ)の妹や!」と、すぐ分かった。

1989年の秋に僕の担当馬としてデビューしたマチカネクロカミは、その新馬戦でスタートから出遅れ、騎手が気合をつける為にムチを入れたら、尻尾をクルクル回して嫌がった。
逆噴射したようにスピードダウンして、1着(後のGホース、ヤマニングローバル)からは約10秒、前の馬からは8秒以上遅れてダントツの最下位でゴールした。
調教でデビューできる水準の時計がなかなか出ないクロカミだったが、ある追い切りでまずまずのタイムで走り、乗っていた助手がここぞとばかりに「先生、今週使いましょう!」と進言したのだった。
このレース後、伊藤雄二先生が助手に「何で使おうとゆうたんや!」と怒鳴ったのを今でも覚えている。
先生の怒りは収まらず、クロカミはこの1戦のみで抹消となってしまった。
その記憶があったので、ハナノエンもどうかな?と心配していたが、お姉ちゃんと同じく調教は全然走らず、タイムも詰まってこなかった。
お姉ちゃんの教訓を生かし、しっかり調教を積んで当時の新馬の水準くらいまでタイムが出るようになり、ようやくデビュー戦が決まった。
G1レースなどで勝って泣いている厩務員や助手の姿をテレビでよく見るが、僕は担当馬が勝って泣いた事は一度もない。
もちろんめちゃめちゃ嬉しいのだが、自分の力や手柄ではなく、馬の成績は全て他力本願だといつも思っていたので一歩引いた自分がいたのだ。
そんな僕が、たった一度だけ嬉しくて号泣したレースがある。
1991年3月23日京都競馬場、マチカネハナノエンのデビュー戦だ(新馬ではなく未出走戦)。
前日からの雨で馬場は不良。
スタートしてハナノエンは1頭だけ大きく出遅れ、鞍上の千田騎手がムチを入れた瞬間、尻尾を振り回した。
「あーっー!お姉ちゃんと全く一緒や……終わった……」
不良馬場でもあるし、惨敗を確信して目を伏せてしまった。
3コーナーで目をやると、ハナちゃんは最後方あたりの内を回っていた。
「こんな先行有利のダートの泥んこ馬場で後ろからなんか無理に決まってるやん!」
そう思いながら見ていたが、直線では団子状態になりハナちゃんの姿を見失ってしまった。
そしてゴール前。
一旦後方を探したがいなくて前の方に目をやると、中団から馬の間をジグザグにすり抜けて上がって来るハナちゃんを見つけた。
真ん中を突き抜けるように4着でゴール!
4着の枠の前で待っていると、顔から首から胸前から泥(ダート)だらけになったハナちゃんが、息を切らせて帰ってきた。
その姿を見た瞬間、愛おしさで涙腺が崩壊。
「どうせ惨敗やろ!とか思ってゴメンな……よう頑張ったなー!」と呟きながら、顔の泥を取り顔を撫でまくった。
たかが未出走戦4着で泣いてる僕を見て、経緯を知らない周りの人はドン引きしていたと思う。
このレース以来、僕は担当馬がどんなに惨敗が予想されていても、しっかり見て応援するようになった。

ハナちゃんとの濃密な2年間は、こうして幕を開けた。
つづく






