前回「競走馬診療所」を紹介したが、栗東トレセンの厩舎の外、事務所や社宅などがあるエリアの中にもう一つの診療所、「栗東診療所」という病院がある。
競馬共助会という外郭団体が運営している病院だが、もちろん競馬関係者以外でも受診できる。
入院施設はないが、内科、外科、整形外科(リハビリテーション科)、歯科などがあって、調教師と厩舎従業員に義務化されている年2回の健康診断の会場でもあり、厩舎関係者は必ず一度は来ている所だ。



栗東トレセンには競走馬診療所というものがあるため、僕ら厩舎関係者はここの事を、人の診療所という意味で「人診(ひとしん)」と呼んでいる。
誰もが「今日は人診行かなあかん!」とか普通に言っていて、僕がここで働き始めた頃から常に違和感を感じていた。
「いやいや、人の診療所て…」競走馬診療所を馬の診療所とは言わないし、馬のほうが上位みたいで何か面白い。
今回、この病院を紹介しようと思ったのは、その「ひとしん」の響きの面白さと、ここが僕ら厩舎関係者になくてはならない場所だからだ。
騎手は大きな怪我のほとんどが競馬場での落馬で、各地で近くの病院が指定されていて、転院する時は自宅近くかJRA指定の病院なので、この人診を利用する人は少ない。
僕ら厩舎従業員は、栗東トレセン内で落馬したり馬に蹴られたりの突発的な事故での怪我では、まずこの人診に運ばれる。
そしてX線を撮ったりして、大きな怪我と診断されたら近くの大病院に移される。
もちろん意識がなかったり誰が見ても重症の時は、直接大病院に搬送されるが、基本まずはこの人診に運ばれるのだ。
そうした仕事中の労災事故の場合、大病院などで入院していても、退院したらこの人診でリハビリをする人が多い。
厩舎に近いし、仕事再開してからも帰りに通ったりできるからだ。
僕は40代半ばに激しい腰痛に悩まされ、人診の整形外科を経て2階にあるリハビリテーション科に通う事になり、しばらく理学療法士の先生による矯正とリハビリをしていた。
そんなある日、朝の作業中に馬に突き飛ばされて派手にコケた。立ち上がろうとしたら脚の感覚が無くなっていて立てなくなった。
椎間板ヘルニアの兆候だった。同時に脊椎間狭窄症も併発し右脚がきかなくなり、手術を決断した。
大きな病院での手術と安静期間を経て、リハビリ期間へ。
それでも完全には治らず、ずっと定年後の現在でもこの人診2階のリハビリでお世話になっている。
このリハビリルームに初めて来たのが44〜45歳くらいなので、もうかれこれ20年は通っている事になる。


馬の仕事では、人が骨折したり腱や靭帯が損傷したりの労災は頻繁に起こる。
その際の職場復帰の為にこのリハビリ施設が必要なのだ。
騎手などが練習用として使う乗馬マシーンが設置されているのも、この競馬社会の診療所ならではのものだ。
そして、ある程度治って仕事がちゃんとできるようになったら晴れて「卒業」となる。
だが手術後もヘルニアの影響で脚の痺れがずっと残っている僕には「卒業」の文字はなく、今でもせっせと人診2階でリハビリに励んでいる。
リハビリルームには、理学療法士の久田先生、石崎先生、細井先生の3人の理学療法士の先生が常勤されていて、最新の知識に基づいての適切な施術と、トレーニング方法やマシーンなどの使い方をしっかり教えてくれる。


トレセン厩舎従業員らが怪我を乗り越え、競馬の華やか舞台に立てるのも、こういった影で支えてくれている人達のおかげだ。
このリハビリルームと先生方がいなかったら、僕は厩務員として仕事を定年まで全うできなかっただろう。
僕だけでなく、たくさんの厩舎関係者が感謝している場所だと思う。
僕は定年後に社宅から引っ越しをしたので、もう歩いて人診に行くことはできなくなったが、車の免許を返す日までこの「ひとしん」に通おうと思っている。






