1991年12月22日。
この日行われた有馬記念は、秋の天皇賞をぶっちぎりの1着入線後、降着で最下位となったメジロマックイーンが断然の1番人気。その天皇賞だが、あれだけの着差なら今の時代なら多分、騎手の罰金だけだと思われるが、当時は降着制度の初期で「厳しくやろう」という雰囲気が、降着にさせたと言える。
マックイーンはそんな無念の天皇賞の後、ジャパンカップ日本馬最先着(4着)を経て、有馬記念に駒を進めてきた。
一方、ダイユウサクの担当の平田師(当時調教助手)は、レース前、メディア以外の所では「できればもう今年は休ませてあげたかった」と言っていたほど、自信はなかったように思えた。
9月からだとこの有馬で6走目となるので、それは誰もが思う事だ。
ただ平田師は、使う度に調子が上がり元気になるダイユウサクに、驚嘆と感心をしているのも事実だった。
そして有馬記念の本番。

メジロマックイーンは堂々としたレース展開で、直線ジワジワと抜け出して先頭に立ち、誰もが天皇賞の鬱憤を晴らしたかに思えた。
するとマックイーンの内、馬込みの真ん中からダイユウサクが伸びてきた!
あの有名な堺アナの実況「あっと驚くダイユウサク!」が、ここで飛び出した。


ダイユウサクが1着を駆け抜けた後、興奮した平田師は自然と馬場へ向かって走っていた。
かなり昔、ダイシンボルガードが勝ったダービーのゴール寸前、厩務員さんが興奮して馬場に飛び出したという逸話があるが、それを思い出させるかのように、平田師はウイニングランをするダイユウサクへ向かって走った。
今ならG1を勝った時などに、馬場に入って馬を迎えに行く厩務員さんは稀にいる。
だが当時は珍しく、おまけに熊沢騎手と一緒になって観客に手を振る平田師が、NHKの中継のアップで映ったのを見て、テレビ観戦の僕らブラッキー軍団員達は歓喜と大爆笑で「やったー!おめでとう!」と叫んだ。
平田家で行われたブラッキー軍団での祝勝会では、レースよりもこの「お客さんに手を振る場面」を繰り返しビデオで観て、皆で大笑いした記憶がある。

内藤繁春調教師は、リスクしかなかった時代に海外遠征をしたり、海外セリでの馬の購入などにも積極的で、相馬眼も素晴らしい先鋭的な先生だったと思う。
だが馬の使い方では従業員と衝突する事も多く、平田師も有馬記念を勝った後のダイユウサクのローテーションなど、先生と意見が分かれる事も度々だった。
ダイユウサクの引退後、程なくして平田師は内藤厩舎を離れる。
この経験が「調教師になって、自分の思い通りにやりたい」との思いになり、数年の調教師試験受験を経て見事合格。2005年に厩舎開業となった。


調教師になってからは、カレンブラックヒル(マイルCS)などのG1馬を始め、多くの活躍馬を輩出している平田師だが、成績だけではなく彼の素晴らしさは、その人柄にあると言える。
厩舎に定年などで人の空きができた場合、新しく若い人材を入れるのが普通の調教師だ。
育成牧場などで調教の経験も積んでいて馬乗りは達者だし、仕事全般で動けるし、ベテランより給料もかなり安い。
でも平田師は、昔トレセンで働いていて、子供に手のかからなくなってヘルパー(疾病者などの補助)をしてくれていた女性を、そのまま本雇いにしたり、他の厩舎で心を病んで(パワハラなど)休養していた人達を、ヘルパーで入れてから正式に雇ったりもしている。
まさに栗東トレセン版「お助け寺(駆け込み寺)」だと、ちまたで評判だ。
そんな平田師は、調教師になって年齢を重ねても人柄は何も変わらず、旧ブラッキー軍団や古い友人にも常に優しく、頼りになる、面白くて楽しい男だ。


僕も定年して今は一般競馬ファンとなったが、残り5年となった平田厩舎の活躍を、陰ながら応援させてもらおう。






