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2024年09月17日 (火)

 奇しくもこの年の1月に発生した阪神・淡路大震災の影響で、阪神競馬場が使用出来ずに京都競馬場で宝塚記念が開催されることとなった。

 天皇賞春で劇的な復活劇を演じたライスシャワー、ファン投票競走である宝塚記念のファン投票で1位となり、京都競馬場で行われる宝塚記念に出走してくるのは自然の流れであったが、その後に訪れる悲劇をこの時は予想だに出来なかった。

 好天の中で行われた宝塚記念、スタートしていつもよりは行きっぷりの悪いライスシャワー、しかし前走の勝利で復活劇を演じたのでこのレースも勝てる、と思いレースの1周目で撮影したが、これが最後の写真になるとは夢にも思わなかった。

1995年 宝塚記念©Shuhei-Okada.com

 目の前を通過したライスシャワーだが、残念ながら手前の馬にかぶってしまい顔は見えなかったが、狙っていて良かったと後から思った。

そのまま後方待機策でレースを進めるも、3コーナー付近でバランスを崩すように転倒、左第一指関節開放脱臼、粉砕骨折を発症しており、その場で安楽死の措置が執られた。

京都競馬場に愛されたライスシャワーの突然の別れに、悲鳴に近い声が聞こえてきた。

ワタシの中で重苦しい雰囲気のまま、1995年の宝塚記念は幕を閉じた。

 菊花賞時に栗毛好きのワタシの中で、無敗の三冠馬が栗毛という、これ以上無いシチュエーションで残り100mで撮りながら思わず「ブルボン、ガンバレ!」と叫んだが、ライスシャワーの末脚に屈して、正直ゴールシーンでは「ほんま、要らん事するなよ!」と思った。

 メジロマックイーンの三連覇の阻止の時も、どちらかというと「また要らん事すなよ~」な感覚だった。

 しかし、その後のライスシャワーの活躍に、長距離ならライスシャワーに勝てない、小柄な体ながらに生粋のステイヤーで、大きく見せる雄大なフォーム、黒光りする馬体、京都競馬場の申し子であるライスシャワーの動向に興味が沸いていったのも事実だ。

競馬ファンからもヒール役や刺客と呼ばれ、自分の中でもダークヒーローだったライスシャワー、しかしその後の活躍を通じて色々なアングルで撮りたいと思わせる馬に変わっていき、名馬への階段を昇ってヒーローとなっていった。

栗東トレセンでのライスシャワー©Shuhei-Okada.com

 京都競馬場の申し子の突然の別れに、JRA職員の発案で、京都競馬場内にライスシャワーの記念碑が建立された。(昨年リニューアルオープンした際も、少し場所を移動したが目立つ場所にある)

競馬開催日になると毎回多くのファンが手を合わせに立ち寄るスポットとして、今なお多くの人々に愛され続けている。

ライスシャワー碑©Shuhei-Okada.com
1992年 菊花賞©Shuhei-Okada.com
1993年 天皇賞(春)©Shuhei-Okada.com

 競馬写真家として、少ないチャンスでも競走馬の雄姿を1枚でも多く残す、色んなアングルで残す、自分の視点(直感)で狙う、二度と撮れない一瞬を永遠に残す。

この時にライスシャワーに教えられ、ワタシの中で今に続いている教訓であり、使命だと感じながら今もシャッターを押している。

岡田修平

1969年 大阪府池田市生まれ
工芸高校写真工芸科、在学中に川本武司氏に師事。
1987年の卒業と同時に「JRA関西広報カメラマン」として撮影を始める。
また師匠の勧めで大阪芸術大学写真学科に進学、卒業後フリーカメラマンとして活動。
競馬をメインフィールドに雑誌、ポスター、カレンダー、DVD等に作品を発表。
フランス凱旋門賞をはじめ、海外大レースの撮影に積極的に参加。
最近は、各インターネット媒体コンテンツへの写真提供もこなし、更なる飛躍を目指している。

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