ダートレースのGⅠ競走が誕生。
1984年に東京競馬場のダート1600mのダート重賞、フェブラリーハンデキャップ(GⅢ)が新設された。
1994年からフェブラリーステークスへと名称を変え、GⅡに昇格した競走。
1997年の第14回から中央競馬初のダートGⅠ競走として、格上げされて2月に行われるようになった。
それまでのダートレースの撮影はスタンドのカメラ位置からしか撮影が出来ず、芝コースのように迫力のあるショットが撮れずにいた。
この1997年のフェブラリーステークスがGⅠレースへと昇格したのを機に、芝コースを横断してダートコースの外ラチ下での撮影が可能となった。(現在もダートの重賞競走以上のレースにおいて、ダートコースの外ラチ下からの撮影が認められている。)
当時、競馬の写真を撮り始めて11年目、芝コースを横断してダートコースのすぐ近くから普通に撮影出来ることをとても楽しみにしていた。
しかし、フェブラリーステークス当日は朝から降り続く雨で、不良馬場となった東京競馬場のダートコース。
楽しみにしていたが、午前中の雨で気持ちが上がらずにいた。カッパの装備などが面倒くさく、ダートコースへ入るのは嫌だなと思っていた。
すると午後の6レースからピタリと雨が止み、10レースからは太陽が顔を覗かせる中でのレース撮影となった。
メインレースで太陽の下での撮影に、俄然やる気が出たことが思い出深い。

地方馬3頭を含む16頭で行われたレースは、芝コースがスタート地点であり、スタートして数10メートル走ると、ダートコースへ入ってくる。
朝からの雨の影響で不良馬場のダートコースは、競走馬の蹄に蹴り上げられてバシャバシャと音が聞こえるようであった。
直線に向いて熊沢重文騎乗の1番人気に支持されたストーンステッパーが、内で粘るバトルラインを捉えて先頭に躍り出た。
そのまま押し切ると思われた残り200mで、最内を通った岡部幸雄騎乗のシンコウウインディがするすると伸びて来た。

そのまま2頭が並ぶ形でゴールするも、わずかに内のシンコウウインディがクビ差前に出ていた。

初代ダートGⅠ馬に輝いたのはシンコウウインディであった。

馬場がたっぷりと水を含んだ状態の中で行われたレースは、水田の中を走っているような幻想的な写真が撮れた。(この時以降、晴れた日に水田のようなダート撮影は出来ていない)


その後、秋にジャパンカップダート(現チャンピオンズカップ)が設立されて、JRAのダートGⅠ競走は2つになった。
また、地方競馬との交流重賞も増え、それまで地味な扱いだったダート馬も脚光を浴びた。
ダート競走が充実したことにより、サウジカップ・ドバイワールドカップ・ブリーダーズカップなどの海外ダート競走への日本馬の挑戦が増えた。
今年の日程ではサウジカップとフェブラリーステークスが同週に行われる。体が2つ欲しい所だが、ワタシはサウジカップの撮影を選んだ。
今年のフェブラリーステークスはサウジアラビアのリヤドから、熱い戦いを見届けたいと思う。