騎手時代に2111勝を挙げ、調教師としても383勝(執筆時点)の輝かしい実績を誇るホースマン 河内洋。
JRAの規定により今年の3月4日付けで定年引退となる。
ワタシがJRA関西広報カメラマン(現フォトサービス)として競馬の写真を撮り始めたのが1987年。
前年の1986年には史上初の牝馬三冠を達成し、2年連続(通算3度目)で全国リーディングジョッキーを獲得。当時、大活躍していた騎手が河内洋である。
華々しい活躍もそうだが、綺麗な騎乗フォームがとても印象的だった。
雑誌の対談撮影時に聞いたエピソードで「騎乗スタイルの理想は逆正三角形」という話があった。馬に騎乗し、背中が地面に対して平行。肩から肘、膝からお尻を逆正三角形で結ぶというものである。
確かにレース撮影をしていても、綺麗な騎乗姿勢の「河内洋」はすぐに分かった。とても絵になる、カッコいい騎手であった。
昨年の7月に記したコラム「三つの夢が叶った(第3回)」のワタシのやりたい仕事の中で、優駿(見開き)・JRAカレンダー・ヒーロー列伝と挙げた中で、最初に使われた写真が全て河内洋が騎乗した1988年桜花賞、アラホウトク(優駿・JRAカレンダー)・1988年マイルチャンピオンシップ、サッカーボーイ(ヒーロー列伝)である。



サッカーボーイ以外にもダイイチルビー、アグネスタキオンのヒーロー列伝ポスターもワタシの写真が採用されている。


撮影の被写体として、とても相性の良かった騎手だった。河内洋騎手のハイライトは2000年の日本ダービー!


アグネスフライトに騎乗し弟弟子の武豊騎手とのハナ差の大接戦を制し、悲願のダービージョッキーに輝いた。
それと、2001年のアグネスタキオンとのコンビである。
3戦3勝の成績で挑んだ第61回皐月賞、好位追走から直線に向くと後続を突き放して完勝。4戦4勝で無敗のクラシックホースへと駆けあがった。



それまでの勝ちっぷり、負かした相手との力関係から無敗の三冠馬誕生へ大きな夢が膨らむ結果となった。河内洋も2年連続ダービージョッキーへ、視界良好と思われた5月にアグネスタキオンの故障により、残念ながらそのまま引退。
無敗の三冠馬誕生は幻となった。
騎手 河内洋は2003年に引退、2005年に厩舎開業し、調教師 河内洋がスタートした。これまでに積み上げた勝利数は383勝。
先日の2月9日に行われた東京新聞杯で管理馬ウォーターリヒトを出走させた。先に抜け出した武豊騎乗のボンドガールに、外からきっちりと差し切ったウォーターリヒト、定年引退間近の河内洋師に重賞をプレゼントした。
騎手と調教師で立場は変わったが、まるで2000年の日本ダービーのゴール前の再現のようで改めて競馬のドラマを感じた。
バリバリのリーディングジョッキー時代を撮影していた騎手は、引退して調教師へ転身。
その調教師生活も定年引退まで僅かとなった。
残された時間もホースマン河内洋を見届けようと思う。
