競馬の祭典・東京優駿(日本ダービー)
今年も日本ダービーの季節がやってきた。
「ダービーに始まり、ダービーで終わる!」この格言の通り、翌週からは来年のダービーを目指す2歳戦が始まろうとしている。
全てのホースマンはダービーオーナー、ダービートレーナー、ダービージョッキー等の称号を目指す。
最も運がある馬が勝つといわれている、3歳馬による最高峰のレース
日本ダービーは、競馬を知らない人でさえもレース名は知っているであろう。
今回のアノ瞬間はワタシが初めて撮影した、1989年の日本ダービーの話をしよう。
当時、大阪芸術大学・写真学科の3回生で平日は大学生。 週末は競馬カメラマンとして活動していた。
1・2回生のこの時期は研修旅行という名の撮影旅行が学校行事であり、欠席すると単位を落とすことになり仕方なく研修旅行に参加していた。
それが3回生では参加する必要がなくなり、ようやく日本ダービーを撮影する機会に恵まれた。
元号が昭和から平成に変わった初年度の第56回日本ダービー。
「ダービーは他のレースとは全然違うよ」
行く前に先輩カメラマンから聞いてはいたが、当日の東京競馬場は朝からピリっとした緊張感と、競馬の祭典を楽しむ人々の熱気が凄かったことを思い出す。
天候発表は晴れも、薄曇りの中で迎えた第56回日本ダービー。
皐月賞はハイセイコー以来となる地方競馬(ホッカイドウ競馬)出身のドクタースパートが制すも、日本ダービーでは4番人気での出走となった。
1番人気に支持されたのは、3連勝中の関西の秘密兵器ロングシンホニー。
2番人気にマイネルブレーブ、3番人気が皐月賞2着のウィナーズサークル。
15時35分、当時のフルゲート24頭の枠入りが収まりゲートが開いた。
スタートして先手を奪うマイネルムート、好位の4番手を進むウィナーズサークル。
向こう正面で出入りが激しくなるが、ウィナーズサークルは自分のペースでレースを進めた。
4コーナーを8番手で回ると、直線で先に抜け出したリアルバースデーを残り300mで並びかけて一騎打ちの様相。

そこへワンテンポ遅れて、外からサーペンアップが鋭く伸びて来るも内の二頭が優勢のまま。

残り200mからじわじわと伸びた郷原洋行騎乗のウィナーズサークルが、リアルバースデーに半馬身先着でゴール。

リアルバースデーからハナ差の3着にサーペンアップが入った。
ダービー史上初の芦毛馬の優勝、かつ茨城県産馬の優勝も史上初の出来事だった。

さらに、ウィナーズサークルはここまでダートで2勝を挙げていたが、芝レース未勝利馬の優勝と記録づくしの勝利だった。


噂に聞いていた以上の盛り上がりを見せた競馬の祭典。
最後の直線での大歓声は、体が震えるほどの大きな音だったが、撮影に集中すると聞こえてはいるが気にならない程度だった。
あっという間に終わった2分半のドラマだったが、その記憶は36年経った今も色褪せない。
今年も大歓声を浴びながら、撮影に集中していつまでも色褪せないドラマを形に残す。
ワタシの使命はあの時も今も変わらない。