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2025年10月23日 (木)

 1993年の第54回菊花賞は、三強対決に沸いたレースであった。
 1番人気に支持されたのは、G1未勝利のビワハヤヒデ。
 新馬勝ちから三連勝し、一躍クラシック候補に上り詰めたビワハヤヒデ。

 しかし朝日杯3歳ステークスをハナ差2着と涙を飲むと、皐月賞ではナリタタイシンのクビ差2着。

皐月賞(ナリタタイシン)©Shuhei-Okada.com

 日本ダービーではウイニングチケットに半馬身差及ばず、G1レースでの惜敗が続いた。

日本ダービー(ウイニングチケット)©Shuhei-Okada.com

 秋のステップレースに神戸新聞杯を選び、ネーハイシーザーに1馬身半差をつけて快勝。
 単勝オッズ2.4倍の1番人気で、菊花賞へと駒を進めた。

 2番人気にダービー馬ウイニングチケット(2.8倍)が京都新聞杯を制しての出走、3番人気に皐月賞馬ナリタタイシン(11.1倍)が支持された。
 ナリタタイシンは前走の京都新聞杯前に肺出血を発症して回避し、菊花賞へは故障明けで高松宮杯からのぶっつけでのレースが嫌われた形となった。
 クラシック勝ちの2頭が出走するも、ファンのオッズは実質の二強対決予想であった。

 暗い曇り空の中で開催された第54回菊花賞。
 18頭が出走したレースは、ツジユートピアンが引っ張る形となった。
 4枠7番から出走のビワハヤヒデは好位の内側3番手を追走、ウイニングチケットはビワハヤヒデを見るように6番手を追走。
 ナリタタイシンは最後方からのレース。

 2周目の4コーナーでは、早め先頭に進出した岡部幸雄騎乗のビワハヤヒデ。
 連れて柴田政人騎乗のウイニングチケットもスパートのタイミングを伺う。
 最後の直線で先に抜け出したビワハヤヒデは、後続との差を大きく広げてセーフティーリードを保つ。
 ウイニングチケットは、外から脚を伸ばすステージチャンプとの2着争いが精一杯。

©Shuhei-Okada.com
©Shuhei-Okada.com

 楽々と先頭を駆け抜けたビワハヤヒデ。
 それまでのG1レースでの惜敗が嘘のような、5馬身差をつける圧勝劇だった。

©Shuhei-Okada.com
©Shuhei-Okada.com
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 走破タイムの3:04.7は、従来のライスシャワーが保持した日本レコードを0.2秒更新するレコード勝利でもあった。

©Shuhei-Okada.com

 激しい2着争いはステージチャンプが制して、ウイニングチケットは3着でゴール。
 ナリタタイシンはぶっつけで挑んだが、肺出血の影響もあったのか大きく引き離された17着でゴールだった。

 菊花賞で初G1制覇の勢いのまま、暮れの有馬記念に1番人気で出走。
 しかし1年ぶりのレースとなったトウカイテイオーの奇跡の走りに半馬身差屈して2着。

 1993年度のJRAの表彰では、菊花賞優勝とG1レースで三度の2着という安定した成績が評価され、「最優秀4歳牡馬」「年度代表馬」の二つのタイトルを獲得した。

 ちなみにではあるが、最優秀3歳牡馬のタイトルを獲得したのは半弟のナリタブライアンだった。
 翌年のビワハヤヒデ対ナリタブライアンによる夢の兄弟対決が、どのレースで実現するのか楽しみで仕方がなかった。

 4歳時(当時の表記)が終わった時点で11戦6勝(2着5回)という、パーフェクト連対を続けていたが、ビワハヤヒデの本領が発揮されたのは古馬になってからだった。

岡田修平 (Shuhei Okada)

1969年 大阪府池田市生まれ
工芸高校写真工芸科、在学中に川本武司氏に師事。
1987年の卒業と同時に「JRA関西広報カメラマン」として撮影を始める。
また師匠の勧めで大阪芸術大学写真学科に進学、卒業後フリーカメラマンとして活動。
競馬をメインフィールドに雑誌、ポスター、カレンダー、DVD等に作品を発表。
フランス凱旋門賞をはじめ、海外大レースの撮影に積極的に参加。
最近は、各インターネット媒体コンテンツへの写真提供もこなし、更なる飛躍を目指している。

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