2000年に創設された、ジャパンカップダート。
ジャパンカップ同様に、ダートの強豪を集めて世界的な大レースにすべく国際招待競走として始まった。
当初は東京競馬場の2100mで行われ、ジャパンカップ前日の土曜日に開催されていた。
11月の最終週ということもあり、アメリカ競馬の祭典”ブリーダーズカップ”から日程的に詰まっているため、12月頭の阪神競馬場での開催に移行された。
現在は中京競馬の1800mで行われる国際競走となっている。
過去の25回の歴史の中で、唯一の外国馬の勝利となっているのが2003年の第4回ジャパンカップダートである。
ワタシの中でも、とても思い出深いレースである。
大雨の中で行われた第4回ジャパンカップダート、外国馬二頭を含む16頭が出走。
カネツフルーヴの逃げで始まったレースは、フリートストリートダンサーが3番手、1番人気のアドマイヤドンは5番手を追走。
3コーナー手前から2番手にポジションを上げる、フリートストリートダンサーの鞍上J.コート。
最後の直線に向くと、逃げたカネツフルーヴを早めに捉えて先頭に立つ。外からアドマイヤドンがじわじわと差を詰める。
二頭のマッチレースとなったが、残り50mで前に出たアドマイヤドン。
大勢は決したと思われたところから、もう一度加速して伸びを見せるフリートストリートダンサー。

二頭が並んでゴール。


内のフリートストリートダンサーか、外のアドマイヤドン。
どちらが勝ったのか全く分からなかったが、写真判定の結果。
内のフリートストリートダンサーに軍配が上がった。



この勝利によって、ジャパンカップダート史上初の外国馬の勝利の記録として燦然と輝いている。
外国馬の勝利もそうだが、この年のジャパンカップダートには特に思い出深い理由が…
ワタシの妻も競馬カメラマンをしており(現在も活動中)
子供が産まれる前の東京でのG1レースにはほぼ二人で撮影に行っていた。
二人で東京への移動を考えると、時間はかかるが経費的な面で車移動だった。
この日は1日中雨の予報だったので、家を4時くらいに出て昼前に着けばいいかと目覚ましをセット。
しかし何故かアラームが鳴らず、目覚めたのは8時半過ぎ!?
大慌てで家を出て、雨の高速を突っ走り。
東京競馬場の門の前に着いたのが15時過ぎ…
報道関係者の駐車場は東門の方、妻を先に降ろしてカメラバッグを運んでもらい、カメラもセットしてもらう。
車を駐車場に入れたのが15時15分、レースの発走までは残り10分。
そこからダッシュでダートコースの撮影ポジションを目指す。
中学時代に陸上部だったとはいえ、最近にない中距離ダッシュ。
途中吐きそうになりながらも、レースの2分前になんとか撮影ポジションにたどり着いた。
セットしてもらったカメラを受け取り、呼吸を整える。
肌寒い大雨だったが、もう汗だくで体から湯気が出ている。
1周目はファインダーを覗くにも、自分の熱気でファインダーが曇る…
2周目もさほど変わらず、仕方なく曇ったままのファインダーで狙う。 結果的にカメラの性能に助けられ、なんとか写真になっていた。
自分のミスながらレース後にどっと疲れた。そんなジャパンカップダートだった。






