今年も中央競馬の締めくくりとなる、有馬記念の週がやってきた。
今年はカレンダーの都合上、27日の土曜日に中山大障害・ホープフルステークスが開催され、28日の日曜日に中央競馬最後の大一番となる有馬記念が開催される。
今回は、ワタシが初めて有馬記念を撮影した第32回(1987年)の話。
高校を卒業してすぐに、JRA広報カメラマンとして競馬の撮影を始めた。
師匠の勧めで大学に進学し、人脈づくりも並行して行った。
1987年の暮れに、大学の同級生、研究室に残った副手の先輩(実習助手)の競馬好きの三人で、せっかくなら有馬記念を見に行こう!となった。
先輩の車で中山競馬場を目指した。
初めて目指す関東圏の競馬場、しかも翌日は有馬記念ということで、車内は変にテンションの高い三人組だった。
まだ改装工事前の、中山競馬場に到着。
「鉄火場」という単語がピッタリな雰囲気。

パドックのヤジも関西弁とは全く違う、標準語の聞きなれないヤジに驚いた。
ワタシは撮影許可証(当時は腕章)を持っていたので、プレスエリアに入って二人とは別行動となった。
初めまして!と関東圏のカメラマンの方々に挨拶をして、撮影準備をしてレースに備えた。
この年の有馬記念には16頭が出走。
皐月賞・菊花賞を制した、二冠馬サクラスターオー。
桜花賞・オークスを制し、エリザベス女王杯で惜しくも三冠を逃したマックスビューティー。
ダービー馬、メリーナイス。
エリザベス女王杯馬、タレンティドガール。
前年の覇者ダイナガリバー、前年の菊花賞馬メジロデュレンと、多彩な顔触れが集まった。
1番人気に支持されたのはサクラスターオー、続いて岡部幸雄騎乗のダイナアクトレス。
3番人気にメリーナイス、4番人気にマックスビューティー。
5番人気にダイナガリバー。
菊花賞以降勝ち星が無かったメジロデュレンは、10番人気での出走だった。
波乱の有馬記念。
スタートしてすぐにメリーナイスが、つまずいて落馬。
場内に悲鳴があがった。
レジェンドテイオーが逃げる形で、2番手にミスターブランディ。
淡々と流れるレース、サクラスターオーは中団の内側で進める。
3〜4コーナーでペースが上がり、各馬がスパート態勢。
ここで1番人気のサクラスターオーが故障を発生し、競走中止。
4コーナーを回った歓声と、故障による悲鳴が交錯した。
レジェンドテイオーが坂の上まで先頭も、ここで力尽きた。
その外を通ってハシケンエルドが伸びる。
内を突いてユーワジェームス。
さらに外から、村本善之騎乗のメジロデュレンが鋭く伸びてくる。


ゴール前の三頭の争いは、外のメジロデュレンが半馬身差し切って優勝。
2着にユーワジェームス、3着ハシケンエルドで決まった。


メジロデュレンが、菊花賞以来のタイトルを手にした。

初めての有馬記念は、混戦のゴール前に焦った思い出しかない。
当時18歳のワタシ。
有馬記念をプレスとしてラチ下から撮影した最年少カメラマンかな?と思う。
あれから38年が経ち、この時の様子をコラムに書くなど、当時は夢にも思っていなかった。
今年の有馬記念もカメラに収めて、新たなドラマを後世に伝えたい。
本年もご愛読ありがとうございました。






