夏の甲子園が真っ盛りである。今年は阪神甲子園球場が100周年ということで大いに話題となったが、では甲子園球場が完成する前はどこで試合をしていたのか。
実は競馬場で行われていたのだ。1917年の第3回大会から1923年の第9回大会までは鳴尾球場で行われていた。この鳴尾球場は鳴尾競馬場の馬場内にあった。
この頃は米騒動による中止もあり、厳しい時代だったが、野球(当時は中等学校優勝野球大会)は大変な人気を博した。観衆が押しかけるが、馬場内ではスタンド拡張にも限界があり、巨大な甲子園球場の建設に至ったという。
鳴尾球場での決勝のカードを見ると、和歌山中や関西学院中、京都一商や神戸商など地元関西の学校が非常に強い。これは人気が出るわけだと納得する。もちろん、鳴尾記念のレース名の由来は、この鳴尾競馬場だ。
野球が好きな競馬人は多い。競馬が好きな野球人も多い。大魔神こと佐々木主浩オーナーは、もはやどちらが本職か分からないほど、競馬の世界でも成功した。
面白い話を友道康夫調教師から聞いたことがある。佐々木オーナーとプロ野球の試合を見に行った時。「次の打者、外の球を引っ掛けてセカンドゴロですよ」「次は変化球を投げて空振り三振ですね」とオーナーが何気なくつぶやくのだが、それが全てピタリピタリと当たるのだそうだ。「いやー、あれは凄かったね」と友道師。メジャーでもあれだけ活躍した人なのだから、それはそうなのかもしれないが、世界レベルのプロは、そこまで凄いのかと驚いた。
現在、プロ野球界には三浦大輔監督(DeNA)、吉井理人監督(ロッテ)と2人の競走馬オーナーがいる。
三浦監督は冠名「リーゼント」で知られ、出走馬の厩務員はパドックでDeNAのユニフォームを着るなど、厩舎との深い関係が見て取れる。ちなみに娘さんは筆者のライバル会社の腕利き競馬記者だ。
吉井監督も自らのブログに競馬ネタがちょくちょく出てくるほどの競馬ファン。今は浦和で5連勝して中央へと殴り込んだ「リジン」が頑張っている。ちなみに母フォーシーム(いい馬名だ)も吉井監督が所有。母の兄には06年ダービー馬メイショウサムソンがいる良血だ。
「競馬が好きな野球人」からは次なる世代も出始めている。西武ライオンズが運営する小中学生を対象とした「ライオンズアカデミー」でコーチを務める戸川大輔氏は実家が競走馬生産牧場だ。「戸川牧場」でピンと来た方は鋭い。日本と香港を股にかけ、GⅠ6勝を挙げたモーリスを生産した。
戸川氏は北海高から14年育成ドラフト1位で西武へ。16年には支配下へと上がり、1軍で本塁打も放ったが22年限りで引退し、現職へと転身した。ベタではあるが「モーリス戸川」の異名で競馬好きの野球関係者に親しまれていたという。
武豊騎手や藤田菜七子騎手が始球式をするシーンをもっと見たい。競馬と野球がさらに深くつながってほしいと夏の甲子園を見て思うのであった。