競馬記者が、グッと腕を磨き、成長できる場面はどこか。自分は夏の札幌や函館開催だと考えている。
普段、接している美浦の関係者だけでなく、栗東の関係者も札幌や函館に滞在している。競馬場で話すチャンスもあれば、街で食事する機会もあるだろう。そうして人脈が広がっていく。筆者も札幌で関係者とのつながりが、かなり増えた。
もうひとつある。「地元開催に燃えるファン」の姿を目の当たりにできることだ。地下鉄に乗れば、週末のレースの話が聞こえてくる。タクシーに乗って「競馬場まで」と言うと「狙える馬はいますか?」と運転手が聞いてくる。よく見ると助手席に弊紙が転がっていたりするから、自ずと気持ちが引き締まる。
筆者が毎夏、札幌に長期滞在していた当時、最も気にしたのはコンビニや駅売店での週末の新聞の売れ具合だった。宿命のライバル、N紙との真っ向勝負。重賞を当てよ、大きな配当を取れ、それが部数アップにつながる…。札幌、函館の弊社スタッフから何度も言われた。予想の面ではそんなに負けていなかったと思うが、1度、完敗を喫したことがあったので、恥を忍んで披露したい。
2000年札幌2歳S(当時3歳S)。人気の中心は牝馬テイエムオーシャンだった。札幌で芝1200m戦を連勝。特に2戦目の500万戦では好位からあっという間に抜け出し、2着馬に6馬身差をつけた。父ダンシングブレーヴ。どう見てもGⅠ級に思えた。
こちらも牝馬だがセンターベンセールという馬も凄かった。初戦は4着に敗れたが、16キロ絞った2戦目を7馬身差つけて逃げ切った。一気の距離延長は鍵だが、スピードは非凡だと感じていた。
他にもダリア賞勝ちのマイネルカーネギーなどもいる中、N紙の本命は新馬戦を勝ったばかり、5番人気の伏兵ジャングルポケットだった。
いや、「ジャングルポケット」と聞いて「のちのダービー馬だよ、迷わず本命だろ」とは、今だから言えること。ジャングルポケットの初戦は、やや重馬場とはいえ1分52秒0の平凡タイム決着。1000m通過63秒7を考慮しても、キャリア2戦目で大幅にタイムを詰めるのは酷だと感じ、弊紙は印を落とした。
レースを見て、呆然とした。手にした双眼鏡を思わず落とすほどだった。千田輝彦騎手(現調教師)を背にしたジャングルポケットは、他馬が動いた3角過ぎでもじっと脚をためた。直線、テイエムオーシャンとタガノテイオーが抜け出し、2頭の競馬だと思ったところに、外から猛然と襲いかかった。まるでジャングルの王のように。あっという間に2頭を仕留めると、2着タガノテイオーに1馬身半差をつけてフィニッシュ。どう見ても快勝で、力が1枚も2枚も上だった。
この時のN紙に対する敗北感は凄かった。終わってみれば持ちタイムを2秒4も詰めて勝ち切ったジャングルポケット。N紙の本紙担当者は、そこまで読み切っていたのだろうか。翌年、同馬はダービーを制し、ジャパンCまで勝った。そのたびに、心に残った傷がちくちくと痛んだ。ちなみに自分の本命馬が何だったか、全く記憶にない。
そこから数年後、N紙の記者に当時の話を聞くと「えー、俺ジャングルポケット本命だった?覚えてないなー」。まあ、謙遜も入っているのだろう。予想の厳しさ、難しさをダイレクトに教えてくれたライバルに筆者は心の中で感謝した。