今週は中京でセントウルS。筆者が競馬の最前線で取材していた頃、セントウルSといえば橋口弘次郎厩舎の出番だった。2003年から3年連続V(03年テンシノキセキ、04、05年ゴールデンキャスト)。2年置いて08年もカノヤザクラで制した。
すでに定年引退した橋口弘師だが、記者からの人望でいえば栗東で右に出る人はいなかった。いつも笑顔で語り口も優しいが、ボス然とした雰囲気も兼ね備える。威圧でなく、包容力で人をその気にさせてしまう。このボスの元でなら頑張ろうと思えるだろう。橋口弘厩舎で働くスタッフは幸せだと感じていた。
記者たちが最も橋口弘師に感謝するのは月曜日だった。月曜日といえば普通はトレセン全休日。朝、厩舎を回ってもカイバ付け担当のスタッフしかおらず、取材は難航する。
しかし、橋口弘師は必ずいる。トレセンの外に私邸を持たず、馬房と横並びの調教師用スペースに住んでいるからだ。呼び鈴を押すと、記者が来るのを予見していたかのように、整った髪とパリッとしたシャツ姿で「どうぞ、いらっしゃい」と迎えてくれる。そこで重賞出走予定馬の話を聞き、火曜朝の競馬面のアタマができあがるのだ。当時、「火曜朝の競馬面の主役は橋口厩舎ばかりだな」と思っていた競馬ファンの方。こういう理由なのだ。
月曜日に趣味のゴルフがある日でも、記者にひと通りのコメントは残してゴルフ場へと向かっていった。当時、栗東に詰めていた記者は全員、橋口弘師には頭が上がらないはずだ。
1度だけ、橋口弘師に大いに喜んでもらえたことがあった。師は関西在住ながら大の巨人ファン。全試合を放送するCS放送「G+(現日テレジータス)」に放送開始当初から加入するほどだった。
02年、デビューから3連勝で皐月賞に挑んだモノポライザーという馬が同厩舎にいた。姉にエアグルーヴを持つ、サンデーサイレンス産駒の超良血。その馬の走りを見て筆者はスポニチ(東京版)に「モノポライザーはターフの高橋由伸」と書いた。
垢抜けた好馬体。道中で苦もなく上昇していく機動力。直線で他馬を颯爽とかわしていく貴公子然とした姿。当時、松井秀喜の前の3番を務め、広角に打ち分けてセンスの良さを披露していた高橋由伸を思わせるものがあった。橋口弘師は大いに喜び「そうだよなあ。モノポライザーと高橋由伸は似てるよなあ。いい記事だよ」と言ってくれた。
調教師としての後半戦は日本ダービー制覇を目指す戦いとなった。毎年のように管理馬を大一番に送り込み、2着が4度(96年ダンスインザダーク、04年ハーツクライ、09年リーチザクラウン、10年ローズキングダム)。ダービー制覇は橋口弘師を慕う記者たちにとっても悲願となった。
14年、ついにワンアンドオンリーで念願がかなう。呆然としながら「涙はもう枯れた。地に足がついていないよ。後にも先にもこんなことはない。これがダービーを勝つことなんだ」と指揮官は語った。筆者はすでに現場を離れ、デスク業務をしていたが、ゴール後、しばらく仕事が手に付かなかった。表彰台で胸を張る橋口弘師の姿を見て、目頭が熱くなった。