今週はスプリンターズS。といえば、筆者にとってはサクラバクシンオーである。
天皇賞馬ヤマニンゼファーを苦もなく突き放した93年。94年も楽に抜け出し、2着ビコーペガサスに4馬身差をつけて快勝。連覇を収めた。1200m戦に関しては(馬券的に)とことん信用できる馬だった。
管理したのは境勝太郎師。スポニチでも「美浦黄門」として馬体診断をお願いしていた。その関係でご自宅にも通わせていただき、いろいろな思い出話を聞かせていただいた。
境先生といえば関東のトップ格の調教師だったので、騎手の頃も関東所属だったと思われがちだが、実は京都や阪神に主戦場を置いていた時代もあった。資料によると、1951(昭26)年から58(昭33)年までは関西の所属となっている。
京都競馬場の思い出を聞くと、こんな話をしてくれた。競馬場の最寄り駅である京阪線の「淀」から京都方面にひと駅行ったところに「中書島」という駅がある。ひと駅といっても淀から相当に遠いのだが…。で、その中書島に昔は歓楽街があったそうだ。
大きなレースを勝つと、分厚くなった財布をポケットに忍ばせて、意気揚々と中書島へ向かった。そしてパーッと使い、夜中の2時、3時。調教に間に合うよう、やおら中書島を出て、まだ真っ暗な中、始発が出る前の京阪電車の線路を歩き、淀へと戻ったという。
もちろん、これは昔の話で真似するようなことがあっては困るが、土手の上の京阪の線路をまだ若き境騎手が歩く風景は、ものすごく絵になるなあ、と思ったものだ。くれぐれも真似しちゃ駄目ですよ!(しないでしょうけど)
その頃、境騎手に天皇賞のタイトルをプレゼントしたのがクインナルビーだ。この馬名にピンと来たらベテラン競馬ファン。あの芦毛の怪物、オグリキャップの5代母である。53年、天皇賞・秋。牝馬クインナルビーは2着ニユーモアナに1馬身半の差をつけて快勝した。
実はクインナルビーは52年、第19回ダービーにも牝馬ながらに出走して境騎手を背に3着だった。「あの時は直前に熱発したんだ。完調なら勝ってたんじゃねえか?」と何度も聞いた。境騎手が歴史を変えていた可能性があったのだ。
だから境先生はオグリキャップの話になると口調に熱がこもった。「オグリキャップは、クインナルビーの乗り心地の良さを引き継いでいるんじゃないかな」と話していた。
サクラバクシンオーに話を戻そう。先生は同馬のことを「バクシン」と呼んでいた。多くの名馬をターフに送り出し、種牡馬として牧場に返した数も半端ではないが、最も種牡馬として期待をかけていたのはサクラバクシンオーだったように思う。
「バクシンが持つスピードはこれからの競馬に絶対に合うよ。今後は海外とも張り合わなきゃいけないだろう。バクシンのスピードは外国の馬相手でも通用するぞ」。サクラバクシンオーは師の予想通りに…いや、想像をはるかに超えてきた。
いろいろ先見の明があった境先生だが、まさかサクラバクシンオーが母の父として菊花賞馬、天皇賞馬(キタサンブラック)を送り出すとは夢にも思わなかっただろう。そして、その子(イクイノックス)は世界の頂点に立った。
境先生、バクシンはついに世界を獲りましたよ。