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2024年10月31日 (金)

 秋華賞で筆者が最も印象深い馬といえば00年優勝馬ティコティコタック。「バンブー」の冠名でおなじみのオーナーブリーダー、竹田春夫氏の所有馬なのにバンブーが付かないところに、まずインパクトがあった。

 馬名も愛きょうたっぷり。当時はインターネット黎明期で調べるのに苦労した覚えがあるが、ラテンミュージックの名曲「ティコティコ」に、スペイン語で「心臓の鼓動」「大時計の擬音」を意味する「タック」が付いたものだという。「チクタク・ボーン」みたいなものか、と認識したことを鮮明に覚えている。

00年、秋華賞を制したティコティコタック©スポーツニッポン新聞社

 まだティコティコタックが世に出る前、500万(現1勝クラス)を勝ったばかりの頃。「馬名が素敵」などと、出張した札幌で厩舎の方と話していたら、竹田オーナーは元ミュージシャンだという、とんでもなく面白い話を聞いた。ラテン音楽のミュージシャンで、大阪ではかなり有名だったという。その後、馬主だった父(竹田辰一氏)の薦めでバンブー牧場を開設し、オーナーブリーダーに転身したとのことだった。

 当時は競馬記者になって5年目。北海道出張も同じく5年目でいろいろ余裕も出てきた頃。取材の合間に(ラテン音楽など)自分にとって未知の世界の話を聞くのが非常に面白かった。そのあたりも込みで「ティコティコタック」の名は早々と自分の脳に強く刻み込まれた。

 ティコティコタックは3歳夏の北海道で、驚くべきスピードでどんどん強くなっていった。これは若手記者だった自分にもよく分かった。

 9月3日のHTB賞。フサイチソニックの4着だったのだが、このフサイチソニックがとんでもなく強いことは札幌でもよく知られていた。続く神戸新聞杯でダービー馬アグネスフライト、皐月賞馬エアシャカールを破って、世間をあっと言わせるわけだが、そのフサイチソニックからティコティコタックは0秒4差に踏ん張った。

 続く一戦は大倉山特別。牝馬限定の1000万下(現2勝クラス)、芝1800m戦。ここを4角4番手からあっさり抜け出して快勝する。ここまで強くなっているか、と感じた。ちなみに、この時の3着馬スリーローマンは牧場に戻った後、09年菊花賞馬スリーロールスを生み、5着スプリングチケットはGⅠ2勝馬カレンチャンの母となった。血統の歴史からも価値のある一戦だった。

 秋華賞は10番人気。いいところあるぞ、と密かに思っていた。だが、発表された馬体重は大倉山特別から20キロ減。うーん…。調整に失敗したのだろうか。脳内が先入観に支配され、パドックもベストに見えてこない。やけに桜花賞馬チアズグレイスが良さそうに見えてきた…。最終的に馬券はチアズグレイスから買ってしまった。

 ゲートが開く。4番手で流れに乗ったティコティコタック。逃げの手から粘るヤマカツスズランを捉えたのは…ティコティコタックだった。残り50mで先頭に立って競り落とす。武幸四郎騎手(現調教師)が左腕をスタンドへと突き出した。

 札幌で一緒に取材した記者から電話がかかってきた。「ティコティコタック、馬券獲ったでしょう?」「それが買ってないんだよ。馬体がだいぶ減ってたから…」「何やってるんですか!僕は獲りましたよ。体重減は想定内ですよ。大倉山特別は多少、余裕のあるつくりだったでしょう」「ごめん、そこまでは分からなかった…」

 この秋華賞はいろいろ教訓となった。結果的には大倉山特別の分析が甘く、馬連3万10円を獲り逃す失態となったが、心の中には満足感もあった。ティコティコタックが強くなっていく過程を目の当たりにできたこと。そして、その予感が秋華賞で結果として出たこと。多少、ほろ苦いが、若い記者に少し自信もくれた一戦だった。

鈴木正

1969年(昭44)生まれ、東京都出身。93年スポニチ入社。96年から中央競馬担当。テイエムオペラオー、ディープインパクトなどの番記者を務める。BSイレブン競馬中継解説者。

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