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2024年10月31日 (金)

 東京・上野の東京国立博物館で開催中のJRA70周年特別展示「世界一までの蹄跡」を見学した。

 以前、当コラムで目黒競馬場跡地を訪ねたことを記したが、筆者は昔の競馬が大好き。今回も古き競馬を知る資料が多く展示されており、非常に楽しめた。

 展示されている「表慶館」へと足を踏み入れると、東京芸大の学生が描いた、レースの絵画が迎えてくれる。個人的に気に入ったのはディープインパクト。あの馬独特の「目」をうまく表現していた。描いた学生さんも恐らく「目がポイントでした」と言うはずだ。

「世界一までの蹄跡」が行われている東京国立博物館・表慶館©スポーツニッポン新聞社

 そして、いきなり筆者の好奇心をくすぐる展示が。場所柄もあっての「上野不忍池競馬場」コーナーだ。

 同競馬場は1884年(明17)完成。池の一部を埋め立てて整形した、1周約1600メートルの左回りコースだった。2階建ての馬見所(メインスタンド)、200頭を収容する厩舎もあったという。想像以上に立派なコースだ。

 普段は馬の博物館が所蔵する「上野不忍池競馬場」の写真も見ることができた。これは初めて見た。写真で見る限りではカーブがきつく、現代の競馬場と同レベルで考えてはいけないことに気付く。それでも当時の人々が熱狂したであろうことは容易に想像がつく。

 同年11月1日のこけら落としには明治天皇も行幸され、皇族、華族、政財界の要人が来場したそうだ。出走馬の馬主には伊藤博文(当時宮内卿、翌年初代内閣総理大臣)、西郷従道(当時農商務卿)、岩崎弥之助(三菱を創設した岩崎弥太郎の弟)らがいたという。VIPルームは、さぞ大にぎわいだったことだろう。

 ちなみにすでに「馬主服」という、今でいう勝負服もあった。伊藤博文は「白、赤袖」。今は下河辺牧場がこの勝負服を使っている。西郷従道は「白、赤縦縞」(赤、白縦縞か?)だ。

 筆者の父は上野生まれ。筆者も子供の頃から不忍池には、なじみがあった。これまで競馬場の痕跡を見つけたことがなかったが、当時の盛り上がりが何となく分かったことは今回、大きな収穫だった。

 続いて目を引いたのは日本刀。1941年(昭16)に行われた第10回ダービー(優勝セントライト)の優勝馬主賞だ。加藤雄策オーナーに贈られたもので、初代理事長・安田伊左衛門からの賞状もあった。ダービーに勝つことがどんなに栄誉でどんなに素晴らしいことか、この1本の日本刀だけで伝わってくる。見る価値は十分にある。

 1952年(昭27)12月28日の中山競馬のレーシングプログラムもあった。枠、馬番、馬名、性齢、重量、騎手、血統、勝負服柄、馬主名、調教師名と、表記の仕方は今と変わらない。野平祐二、二本柳俊夫、保田隆芳、高橋英夫…。筆者が競馬を見始めた頃にバリバリの調教師だった皆さんが騎手として名を連ねている。

 「アヤメ」「トシユキ」「タフガイ」などシンプルな馬名が多い。この日のメイン「クモハタ記念」には、女優の高峰三枝子が所有し、52年の桜花賞、オークスを制した「スウヰイスー」の名もあった。今回、何と重量が67キロ!慌てて結果を調べたらハナ差の2着に敗れていた。2冠馬とはいえ、さすがに厳しかったようだ。

 うーん、自分の興味のあることを書き並べたら紙幅が尽きてしまった。もちろん「世界一」がテーマなので、マルシュロレーヌが勝ったブリーダーズCディスタフの優勝レイや、ウシュバテソーロが制したドバイワールドCの優勝トロフィーなど、皆さんが興味ありそうなものも展示してあるのでご安心を。会期は10月20日まで。興味のある方はお急ぎ下さい。

鈴木正

1969年(昭44)生まれ、東京都出身。93年スポニチ入社。96年から中央競馬担当。テイエムオペラオー、ディープインパクトなどの番記者を務める。BSイレブン競馬中継解説者。

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