UMATO

2024年12月07日 (日)

 報道機関にいてよかったと思うのは、社内に資料がたっぷりとあることだ。社内での空き時間にこれらを持ち出して眺めていると、いろいろな発見がある。今回は少しだけ紹介したい。

 「日本中央競馬会30年史」。筆者のお気に入りである分厚い一冊だ。発行は1985年(昭60)12月25日。シンボリルドルフが2度目の有馬記念制覇を決めた数日後に発行された。この10年前に「20年史」も出ており、この30年史は、20年史発行以降の75年から84年までの10年間、中央競馬会が歩んだ道を主に記している。競馬ブームが起こる前夜。さまざまな改革によって急速に競馬が近代化していったことがよく分かる。

栗東トレセンの風景©スポーツニッポン新聞社

 個人的に日本競馬最大の特徴は「トレーニングセンター」にあると思う。競馬界もそれは重々承知しており、この本でも「トレーニング・センターの設置」という欄を設けて紹介している。

 この欄を丹念に読むと実に面白い。かつては競馬場内に各厩舎は馬房を持ち(一部分場あり)、競馬場のコースで日々、調教していた。

 しかし、1958年(昭33)頃から中山、阪神競馬場では競馬開催時における出張厩舎の確保が苦しくなり始めた。競走馬が増加したためで、それはすなわち競馬というものの運営が順調で右肩上がりだったことを物語る。このペースでいけば、いずれ競馬場に厩舎があるという状況は曲がり角を迎えることが確実となった。分厩、分場構想を経て、一大調教センターに全馬を抱え込む、いわゆるトレセン構想が1959年頃から進められた。

 関西では1960年に滋賀県甲西町(現湖南市)が名乗りを上げたが「諸般の事情から」(同誌より)具体化には至らず。続いて手を上げたのが栗東町(現栗東市)。1965年(昭40)7月、正式に具体的交渉に入った。建設工事は順調に進み、1970年(昭45)12月17日、関西の競走馬、関係者の全ての移動を完了したという。場所選定からゴールまで比較的スムーズに運んだと言っていいだろう。

 関東のトレセンが美浦に決まるまでは、さまざまな苦労があったようだ。まずは、栃木県藤岡町の赤麻遊水池が有力候補となった。今は「渡良瀬遊水池(地と書くことも)」と呼ぶらしい。工事上に難点が見つかって頓挫したようだが、もしここにトレセンができれば、記者たちは東北本線の「古河」あたりからタクシーで向かったのだろうか。

 ついで神奈川県相模原市が候補に上がったが土地面積が不足し、追加買収にも困難が予想され、断念した。

美浦トレセン、運動する馬たち©スポーツニッポン新聞社

 この頃、一方で栗東トレセン計画は順調に進んでいた。今もそうだが、東西の厩舎経営が同じ条件のもとで行われることが重要。関東における候補地調査は一気にスピードアップした。「1都8県80余カ所」(同誌)に及び、「茨城県美浦村」、「横浜市長津田地区」、「神奈川県厚木市棚沢地区」などが残った。そして最終的に美浦村と決まる。石油ショックによる建設工事の遅れなどもありながら、1978年(昭53)4月8日、関東の人馬は全て美浦への移動を完了した。

 さて、美浦に長年通った者としては、もし「長津田トレセン」、「厚木トレセン」だったらと妄想する。長津田なら個人的には移動は楽だった。東急田園都市線沿線に住まいを構え、トレセン通いをしていたかもしれない。ただ、長津田周辺も今や、一大ベッドタウンだ。さらなる移転を求められていた可能性は大きい。

 「厚木トレセン」は小田急線の座間や、JR相模線の相武台下からの移動となりそうだ。構想地から西に行くと温泉旅館もあり、悪くないかもしれない。

 美浦、栗東トレセンが問題なく稼働し続けているからこそ、日本競馬が世界最高といえるレベルに到達したことは明白だ。昭和の当時、関係者はベストの選択をして両トレセンは完成した、ということだろう。先人たちに感謝しなければならない。

鈴木正

1969年(昭44)生まれ、東京都出身。93年スポニチ入社。96年から中央競馬担当。テイエムオペラオー、ディープインパクトなどの番記者を務める。BSイレブン競馬中継解説者。

おすすめ記事

  • 雷鳴とともにテイエムプリキュア快勝 ところで「プリキュア」って何だ?

    2024年12月04日 10時00分

  • ソダシが勝った 偏見を経て、今や白毛は日本競馬の文化

    2024年12月02日 10時00分

  • 衝撃が走ったデットーリの神騎乗 ~イーグルカフェVと小島太師の涙

    2024年11月27日 10時00分

  • ディープインパクトの3冠を脚元から支えた~当時最新の“接着装蹄”

    2024年11月25日 10時00分

  • タップダンスシチー~JC 9馬身差圧勝!直後にライバル騎手が放った言葉とは

    2024年11月20日 10時00分

  • ダイワメジャー後編。「何だこの背中」、本格化の瞬間。そしてスーパーホースへ

    2024年11月18日 10時00分

PAGE
TOP