タガノテイオーという馬を覚えている方はいらっしゃるだろうか。2000年の東京スポーツ杯3歳S(当時)の勝ち馬である。ただ、筆者にとっては同年の札幌3歳S(同)と朝日杯3歳S(同)での2着の方が深く心に残っている。いったい、どんな馬だったのか。
00年9月、筆者はこの年の2回札幌開催は全開催を現地札幌に滞在して取材するという幸運に恵まれた。2歳勢が非常に粒ぞろいで、ジャングルポケット(のちにダービー、ジャパンC)、テイエムオーシャン(のちに桜花賞などGⅠ3勝)、メジロベイリー(のちに朝日杯3歳S)などの精鋭が北の大地に集まっていた。
その中の1頭がタガノテイオーだった。サンデーサイレンス産駒で420~430キロ台の小ぶりながら、すらりとした馬体が目を引いた。新馬戦を2度(当時は可能だった)使って勝ち上がり、札幌3歳Sはジャングルポケットの鬼脚に屈して2着。それでも逃げ粘るテイエムオーシャンを力強く捉えた脚には見るべきものがあった。
札幌3歳Sが終わった夜のこと。筆者は、伊藤雄二調教師と、すすきのの鍋料理の店にいた。同厩舎もセンターベンセールという期待馬を札幌3歳Sに送り込んだが6着に敗れていた。食事も中盤を迎えた頃、来店したのがタガノテイオーで札幌3歳S2着だった松田博資調教師だった。
「ああ、先生、いつもお世話になっております」
「おう、ご苦労さん」
負けたレースだから、あまり触れない方がいいのだが、つい数時間前のレースのことだ。話題にしない方が不自然だ。筆者はこう切り出した。
「先生、タガノテイオー残念でした。でも見せ場はたっぷり作りましたね」
「おお、今日のレースのことか。まあ、競馬は負けることの方が多いからな。無事に帰ってきてくれれば、それでいい」
全くの何気ない会話だが、今でも強烈に覚えている。それは、タガノテイオーが“無事に帰ってくる”ことができなくなったからだ。
札幌3歳Sの後、東京スポーツ杯3歳Sを制し、重賞初制覇を飾ったタガノテイオー。満を持して朝日杯3歳Sへと駒を進めた。単勝3.9倍の1番人気。東スポ杯で見せた強烈な切れ味を思えば、ここも優勝に最も近い存在と思われた。
ところが…。直線残り200m。他馬をかき分け、スパートに入ったその時、左後肢からボキッ!という音がした。それでも気力を振り絞って先頭に立つ。しかし、メジロベイリーがその横をすり抜けていった。タガノテイオーは2着…。
そこから先を詳細に書くことは控えたい。異変を感じ取った松田博資厩舎スタッフが全力疾走で馬のもとへと向かう。藤田伸二騎手は1コーナー過ぎで馬を止め、下馬した。「左第1趾骨(しこつ)粉砕骨折」。獣医師の下した判断は予後不良だった。
「見た瞬間、もうだめだと思った。最高のレースをしてくれた。でも、結果がこれでは…。これがレースというものだから仕方がないが、本当に残念だ」。松田博資師は絞り出すように語った。
「無事に帰ってきてくれれば、それでいい」。札幌で松田博資師が話した言葉が頭の中で何度もこだました。