UMATO

2025年04月19日 (土)
中山グランドジャンプ / アンタレスS

 競馬記者で良かったな、と思うことはいくつかあるが、普通の人生ではとても出会えないような人と話すことができる、ということが自分にとって大きいと感じている。“とても出会えないような人”とは、自分にとってはすなわち競走馬のオーナーだ。従業員を何人も抱え、会社の舵取りをしている社会的地位のある人と話すチャンスがある。これは人生にとって非常に有益だ。

2010年 有馬記念を制したヴィクトワールピサ©スポーツニッポン新聞社

 2010年秋、フランス。筆者はパリのロンシャン競馬場(現パリロンシャン競馬場)にいた。凱旋門賞に出走するナカヤマフェスタ、ヴィクトワールピサを追いかけての出張。レースを目前に控え、パドックには出走馬関係者が集まり始めていた。

 目の前にヴィクトワールピサの市川義美オーナーが来た。しかも1人。こんなビッグチャンスを逃す手はない。宝石界の超大物である市川オーナーに思い切って声をかけた。

 「凱旋門賞、素晴らしいチャレンジだと思います。ファンを勝手に代表して、お礼申し上げます」

 「うれしいこと言ってくれるね、ありがとう」

 「菊花賞に向かっていれば、かなり有力でした。それでもフランスなんですね」

 「そう。やっぱりね、人生は夢を追うべきなのよ。夢にはチャレンジしていくべき。僕はそう考えますよ」

 感謝を述べて、オーナーのもとを後にした。何気ない会話だったが、もの凄く心に刻まれた。何というか、事業で大成功を収め、競走馬の大オーナーにまで上り詰めた市川氏の生きざま、人生訓を端的に教えてもらえた気がした。こんな経験、どう考えても普通はできない。

 ヴィクトワールピサは、その凱旋門賞で7着に終わった。直線を向くと他馬と何度もぶつかり、完全に行き場を失った。武豊騎手は「残念すぎる。前がゴチャついてスムーズに運べなかった」と悔しがった。

 だが、この悔しい敗戦がヴィクトワールピサをさらに大きくした。帰国して臨んだジャパンCは3着。遠征帰りで8番人気に過ぎなかったが馬券圏内に奮闘した。

 そして有馬記念。初めてミルコ・デムーロを鞍上に迎えたヴィクトワールピサは、4角2番手からサッと先頭に立ち、外から豪快に追い込んだブエナビスタをハナ差、抑え込んでグランプリホースとなった。

 報道陣に囲まれ、「ゴール前は思い切り声が出た。夢みたいだよ」と喜ぶ市川義美オーナーを見て思った。夢を追いかけたから、この結果があったんじゃないか…。その横では角居勝彦調教師が「かわいい子に旅をさせたかいがありました。精神的に強くなりました」と語っていた。

 そしてそして、物語はここで終わらない。ヴィクトワールピサは翌2011年。中山記念を完勝して臨んだドバイワールドCを勝ったのだ。日本調教馬、初めての勝利。そして、東日本大震災に沈む日本に勇気を届けた、歴史的快挙だった。

 もし、前年のフランス遠征を経験していなかったら、ヴィクトワールピサのこの勝利はなかったのではないか。初の海外で勝てるほどドバイワールドCは甘くない気がした。ならば…。3歳秋のあの時期に夢を追いかけたことが有馬記念とドバイワールドCを引き寄せたのだと感じた。

 あのパドックで市川義美オーナーに話しかけて、本当に良かったと今になって思う。夢を追えば、とことん追えば、想像もつかないようなことが起こる。オーナーは、そう教えてくれた。

鈴木正

1969年(昭44)生まれ、東京都出身。93年スポニチ入社。96年から中央競馬担当。テイエムオペラオー、ディープインパクトなどの番記者を務める。BSイレブン競馬中継解説者。

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