UMATO

2025年01月30日 (木)

 野球のスター選手には“恋人”と呼ばれる存在がいる。お気に入りの打撃投手である。かつての巨人には「長嶋の恋人」も「王の恋人」もいたという。

 筆者の記憶に強烈に残るのは「落合博満の恋人」。3冠王3度、史上最強打者の打撃練習は独特で、山なりのスローボールを真芯で打てるかどうかで自分の調子を知るそうだ。

09年中京記念を制したサクラオリオン©スポーツニッポン新聞社

 だが、なかなか山なりのスローボールを打者のストライクゾーンに投げるのは難しい。ただ、1人だけ、落合の要求に応えられる打撃投手がおり、重宝されたそうだ。その人は落合に「僕の今の打撃フォーム、大丈夫ですか?」といったアドバイスまで求められたらしい。打撃投手冥利に尽きるだろう。

 さて、なぜこんな話をしたかといえば、スターホースにも恋人らしき存在がいたという話に持っていくため。スターホースとはディープインパクトだ。

 競走馬にとって打撃練習は追い切りに相当するのではないか。追い切りにおける“併せ馬”の組み合わせ。これはかなり重要だ。重賞やGⅠに出る馬をメインとするなら、サブとなるパートナーは、メインの馬が目的(速いタイムを出す、闘志をかき立てる、気持ちを落ち着かせたまま負荷をかける、など)を達成する手伝いをしなければならない。

 理想的なスピードで引っ張ることが重要になるし、先着されても心が折れないタフさも必要。サブ馬も週末には競馬が控えているので負荷がかかりすぎてもいけない。非常にあんばいが難しいのだ。

 ディープインパクトの併せ馬の相手をよく務めていたのが02年生まれの同期、サクラオリオンだった。馬房も隣同士だった。

 皐月賞を制したディープインパクトがダービーの2週前追い切りを迎えた時のことだ。サクラオリオンはディープインパクトの外に併せるという難しい役目を担った。

 一般的に実力差がある場合、力のある馬は、距離ロスのある外を回ることが多い。だが、実戦で外からかぶせられ、動揺するようなことがあってはいけない。そこで1度、内側で併せておこうということになったのだろう。

 ここで悲劇が起きた。併せ馬を終え、すぐに息を整えたディープインパクト。一方、サクラオリオンは負荷がかかりすぎたのか、止め際で歩様が乱れた。左前脚のつなぎを損傷。ボルトを入れる手術を受けることとなった。

 ディープインパクトの市川明彦厩務員は神妙な面持ちで語った。「かわいそうなことをした。サクラオリオンが走ったところをディープが走っていた可能性もある。ディープがケガをする可能性をサクラオリオンが摘み取ってくれたのかもしれない」

 迎えたダービー。ディープインパクトは無敗の2冠馬となって池江泰郎厩舎へと凱旋した。サクラオリオンの厩務員は我がことのように喜んでいた。口数の少ない温厚な方だった。胸が痛くなった。

 しかし、サクラオリオンは“悲劇の縁の下の力持ち”では終わらなかった。

 1年後、サクラオリオンは池江泰郎厩舎へと戻ってきた。じりじりと勝ち上がり、6歳夏、ついにオープン入りを果たす。迎えた09年中京記念。すでに7歳となっていたサクラオリオンは18頭立ての15番人気に過ぎなかったが、何とここを勝ち切った。

 ディープインパクトの市川明彦厩務員の喜びぶりは凄かった。自分の担当馬の1着より、はるかに喜んでいた。「良かった。本当に良かった」。この時は厩舎全体が沸いた気がする。サクラオリオンがどんなに偉大か、厩舎の全員が分かっていた。

 1頭の馬が天下を獲る裏には、さまざまなことが起こる。それは仕方のないこと。だが、サクラオリオンは悲劇の馬で終わることなく、再び立ち上がって重賞ホースへと飛躍した。池江泰郎厩舎にとって欠かすことのできない重要な1頭だった。

鈴木正

1969年(昭44)生まれ、東京都出身。93年スポニチ入社。96年から中央競馬担当。テイエムオペラオー、ディープインパクトなどの番記者を務める。BSイレブン競馬中継解説者。

おすすめ記事

  • 根本康広師~おしゃれの達人は古き良き師弟愛も伝え続ける

    NEW2025年01月29日 10時00分

  • 武豊騎手~「武豊ならどう乗るか」快騎乗を引き出す“俯瞰する目”

    2025年01月27日 10時00分

  • ホワイトストーン~勝つべきレースで勝てない…若き筆者が身もだえした“推し馬”

    2025年01月22日 10時00分

  • サクラホクトオー~派手に勝ち、派手に負けたピンク色の伊達男

    2025年01月20日 10時00分

  • 中山大障害~最新の映像技術が競馬の魅力を鮮やかに伝えた

    2025年01月15日 10時00分

  • 優駿創刊号を読む~ダービーの軸はセントライト、ラップタイムにも言及

    2025年01月13日 10時00分

PAGE
TOP