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2025年05月06日 (火)

 今週はNHKマイルカップ。筆者にとって最も印象深い一戦は13年、10番人気マイネルホウオウが柴田大知騎手の手綱で制した一戦である。派手にガッツポーズを決め、お立ち台で男泣きをした。柴田大知騎手から「人生はどこからでも大逆転が可能である」と教えてもらった。

 柴田大知騎手に、どん底の大低迷期があったことを知るファンはもう少ないのだろうか。デビュー当初(96年)は順風満帆だった。97年にはGⅢ(ラジオたんぱ賞=エアガッツ)も制した。だが、その年の秋、福島で落馬して歯車が狂い始めた。

 肺挫傷と鎖骨骨折。所属厩舎も出ることとなり、戦線に復帰しても騎乗数がみるみる減っていった。減量期間も終了。減量を味方に生き生きと騎乗する後輩も増え、次第に存在感を失っていった。

 05年には現状打破を目指して障害競走にもチャレンジ。2着は拾うが、なかなか白星につながらない。そんなこんなをしているうちに06、07年は何と0勝で終わってしまった。

マイネルネオスで11年中山グランドジャンプを制した柴田大知騎手はお立ち台で涙が止まらない©スポーツニッポン新聞社

 その頃、こんな話をしてくれた。「障害に乗り始めると、柴田は障害専門なのか、と思われてしまうんです。そうではありません。平地も乗りますよ、と声を大にして言いたかったのですが、周囲の意識はそうではなかった」。この“意識のずれ”が決定打となった。潮が引くように平地の依頼がなくなり、いよいよ崖っぷちに追い込まれた。

 「このままでは厳しいぞ。君も家族がいるんだし、調教助手に転身して安定した人生を送った方がいい」。周囲の多くの人はこうアドバイスをしたという。それは決して意地悪で言っているのではない。親身になって、人生の先行きを考えて言ってくれているのだ。騎手をやめなきゃいけないのかな。そう思って奥様に相談すると意外な答えが返ってきた。「自分が納得いくまでやった方がいいんじゃない?」

 柴田大知騎手はハッとしたという。自分は調教助手になりたくて、この世界に飛び込んだのではない。騎手になりたかったのだ。今やめたら、きっと後悔する。やめる時は自分はよくやったと思いながらやめるべきだ。

 周囲の騎手も柴田大知騎手の思いを察し、アドバイスをくれた。柴山雄一騎手は1冊の本を貸してくれた。「ザ・シークレット」(ロンダ・バーン著=角川書店刊)。自分が思ったことは、そのまま実現する。それには方法があって、それらを理解することでなりたい自分になろう、という内容だ。

 青木芳之騎手は「生き方」(稲盛和夫著=サンマーク出版刊)という本を貸してくれた。京セラの創業者であり、日本航空を復活に導いた経営者。何かを成し遂げたいのであれば、寝ても覚めてもそれを思い続けろ、という内容だった。

 柴田大知騎手は2冊をむさぼるように読んだ。自分の甘さを痛感した。まだ何とかなる、決して遅くはない。2冊の本は、そう訴えかけていた。柴田大知騎手は心の中の炎が燃え上がるのを感じた。

 年間0勝からGⅠ制覇への劇的な復活劇は次回に記したい。

鈴木正

1969年(昭44)生まれ、東京都出身。93年スポニチ入社。96年から中央競馬担当。テイエムオペラオー、ディープインパクトなどの番記者を務める。BSイレブン競馬中継解説者。

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