同僚から借りた2冊の本をむさぼるように読み、復活を誓った柴田大知騎手。まずは自分の技術を見直すことから始めた。どうやったら馬が動くのか。借りた本にあったように、それこそ24時間、「馬に乗るとは何か」を考えた。
午後、厩舎を訪ね歩くことも始めた。用事があるわけではない。恥ずかしさもあった。だが、自分を鼓舞した。復活への重要な“種まき”だった。次第に厩舎に顔を出すことを歓迎してくれる人が増えてきた。
08年1月12日、柴田大知騎手はついに27カ月ぶりの勝利をつかむ。ジンデンバリューでの障害Vだ。
長く勝てなかったことで柴田大知騎手は“勝ち方”を忘れていた。レースは勝負どころで動いて勝利をつかむもの。だが、V争いに食い込めない馬に乗り続けてきたことで、本当の勝負のポイントが分からなくなっていた。ジンデンバリューは自分から動き、鞍上をしっかりと導いてくれた。

「あっ、勝っちゃったかな」。勝ったことが分からないほど白星から遠ざかっていたが、検量室前で喜ぶジンデンバリュー陣営のスタッフの表情を見て、ようやく実感が湧いた。
次なる成功体験は7カ月後だった。北陸Sのダイイチミラクル。ハンデ49キロに乗れる騎手を探していると聞いて自分から売り込んだ。8番人気ながら2着に入り、陣営は喜んでくれた。清水敏オーナー(ミルファーム代表)は感謝の電話をくれた。
オーナーは脱サラして競馬の世界に単身、飛び込んだ人。柴田大知騎手の苦労が分かっていたのだろう。これをきっかけに柴田大知騎手はミルファームの馬に多く乗るようになった。清水氏は起業前、ビッグレッドファームに勤務していた。その縁でビッグレッドファームも紹介してもらった。
きっかけはもらえた。ここで柴田大知騎手はもうひと頑張りした。全休日、北海道へと向かい、ミルファームやビッグレッドファームで馬にまたがった。格安航空券を探し、レンタカー、ホテルも1円でも安いものをチェックした。「実は牧場への手土産すら厳しい状況でした」。競馬に乗りたい一心だった。
それまで自分は調教され、しっかりとお膳立てされた馬にレースでまたがることしかなかった。牧場で乗り、スタッフとコミュニケーションを取ることで、まだ何も分からない若い馬に必死に乗り、教えることの苦労を知った。牧場への感謝の念が湧いた。そして、そのことを素直に伝えた。牧場との結束が、より強固になった。
もう崖っぷちではなかった。そこから2勝、6勝、20勝、41勝と白星は倍々ゲームで増えていった。11年にはマイネルネオスで中山グランドジャンプを制覇。翌年もマジェスティバイオで連覇し、13年にはついに平地GⅠ競走を初めて勝つ。NHKマイルカップ、マイネルホウオウだった。
どん底にいた頃。競馬が開催されている土日。柴田大知騎手は乗り鞍がなく、自宅にいることが多かった。だが、奥様は何も言わないでいてくれた。NHKマイルカップを勝った時、柴田大知騎手は競馬場に来てくれていた家族を力いっぱい抱きしめた。「ありがとう」。家族全員が泣き、笑い、抱き合った。ゼロから始め、欲しかったものをついに手にした瞬間だった。