先週21日付の当コラムで、社台グループ発祥の地・千葉県富里について書いたが、書いているうちにどうしても現地を訪ねたくなり、カメラ片手に富里市へと向かった。
京成本線「公津の杜」駅から、タクシーでまずは吉田善哉氏と大種牡馬ノーザンテーストの等身大像がある新木戸大銀杏公園へ。

運転手がベテランだったので昔の富里について聞いてみる。「ああ、牧場はいっぱいあったねえ。このあたりも今はショッピングセンターがあって、道幅も広いけど、昔は原っぱばかりだったよ」
たしかに公園は「ベイシア」という大きなショッピングセンターの真ん前にあった。近所にはホームセンターの「ジョイフル本田」、今勢いのある「業務スーパー」があり、買い物の全てがここで事足りそうだ。土日は近隣からマイカーが殺到していることだろう。
タクシーを降り、お目当ての像のもとへ。ノーザンテーストに寄り添う吉田善哉氏は、馬が愛しそうでもあり、少し自慢げでもあった。素敵な像だ。
ちなみに「新木戸」とはどういう意味か。富里市のホームページを当たったところ、かつて下総地区が馬の一大放牧場だった頃、馬が逃げ出すことがないように造られた土手があり、その土手の合間に人や馬が出入りできる「木戸」(木製の扉)があったとのこと。この地域には比較的新しい木戸があった、ということなのだろう。新たに設けた木戸かもしれない。
中山競馬場のある船橋市にも「高根木戸」という駅名があり、何のことだろうと疑問に思っていたが、これで分かった。船橋もかつては「小金牧」という広大な放牧場だった。高根の地にも木戸があったことの名残なのだ。
実はもう一カ所、行きたいところがあった。かつて宮内庁が開設し、草創期の日本の競馬をけん引した「御料牧場」である。こちらは富里から東に移動し、成田国際空港のそば、三里塚の地にある。

移動の道中で「御料」という地名を発見し、早くもワクワクする。乗馬クラブもあった。富里は今も馬とともにあるのだ。
そして三里塚へ。いかにも交通の要衝の香り漂う交差点に面して比較的大きなバスターミナルがある。ここがかつて、にぎわいの中心であったことを物語る。
このバスターミナルから南西にしばらく歩いたところに、その昔、1周1マイルの立派な馬場があった。1周1マイルとは競馬を開催できるレベルである。1881年(明14)と翌82年、明治天皇は三里塚へと行幸しており、天覧競馬をこの馬場でお楽しみになられたそうだ。
そのコースは今もはっきりと残っている。三里塚交差点の南西に絶妙なカーブを描き、亀の甲羅のように区割りされた道路が今の地図でも見えるはずだ。ここがかつて、御料牧場内にあった三里塚の競馬場である。
筆者の大好物である絶妙なカーブを住民の方々に怪しまれないように撮影する。「ここが競馬場だったことはご存じですか?」と聞いて回りたい気分だが、通報されても困るのでやめておく。たっぷりと「昔の競馬」の成分を体内に吸収し、満足感を得た。
帰路は三里塚のターミナルから成田駅行きのバスで。本数は少ないが、乗ってしまえば結構あっという間に成田に着く。車がなくても思った以上に三里塚は東京から近いところだ。

東京駅八重洲口から富里を経由して三里塚まで来る、夢のような(?)高速バスもあるようだ。興味のある人(いるか?)は時間を調べて訪ねてはいかがだろうか。