宝塚記念が終わり、これで上半期のGⅠは全て終了した。ただ、宝塚記念で1頭、どうしても書き記しておきたい馬がいるので、ここで紹介したい。12年優勝馬オルフェーヴルである。
とにかくキャラクターの立った馬で、快勝後に鞍上を振り落とした新馬戦、2度の凱旋門賞での2着など、書こうと思えばいくらでも行数が伸びてしまう。なので今回は12年の宝塚記念制覇に絞って記してみたい。

レース当日は担当デスクだった。大一番でこの業務に当たる時は、勝ちそうな馬のことをあれこれ調べ、準備しておくもの。筆者もルーラーシップ(勝てば国内GⅠ悲願の初制覇)、ウインバリアシオン(善戦マンがついにGⅠ制覇)といったV候補の準備をした。だが、途中からどう考えてもオルフェーヴルが勝つ気がして、その思いが頭から振り払えなくなった。
「こうなったらオルフェーヴルをとことん準備しておくか」。レース前日深夜、資料と格闘しながら「オルフェーヴル優勝原稿」の素材を積み上げていった。
「ファン投票1位馬の全成績」、「宝塚記念&有馬記念双方優勝馬一覧表」、「主な名馬の復活劇(オグリキャップ、トウカイテイオー)」といった素材を準備する。書いていてグッと来たのは「オルフェーヴル、ここまでの苦闘」だった。池江泰寿調教師や池添謙一騎手の苦悩が手に取るように伝わった。
東日本大震災が起こった11年、3冠を達成し、有馬記念も制して時代の寵児となったオルフェーヴル。だが、年が明けると、予想もしなかった事態が待っていた。
3月18日の阪神大賞典。単勝1.1倍の圧倒的1番人気に推されたオルフェーヴルだったが、スタート直後から折り合いを欠き、2角過ぎで先頭に立ってしまう。それでも地力で押し切れると思われたが、2周目3角手前で突然、外ラチ沿いへと逸走してしまった。
後方まで下がる。万事休すかと思われたが、そこから鋭角にターンしてハミを取ると大外から猛追開始。勝ったギュスターヴクライには及ばなかったが2着に食らいついた。
スポニチは翌日の1面で「オルフェ珍負け」と報じ、ライバル紙もおおむね“最強馬がやんちゃな面を出して負けた。でも地力を示した2着”とのトーンで報じた。
だが、筆者は胸騒ぎがしていた。いつもゴーサインが出るところでそれが出ず、手綱を抑えられた。おかしいじゃないか、日頃の訓練と違うじゃないか。頭のいいオルフェーヴルは、そう言いながら阪神大賞典を走っていた気がしたのだ。
馬には“2周する競馬もある。1周目はおとなしく”なんてことはレース前には分からない。思えば、菊花賞でも道中は行きたがっていた。頭のいいオルフェーヴルには2周する競馬は向かないのではないか。そうなると、次走の天皇賞・春も怪しくなる。
何より、オルフェーヴルと人間の間の信頼感が失われた可能性があったことがつらかった。“人間の言うことにはうそもある。信用できない”。オルフェーヴルがそう思っていたら、すごく悲しい。それが阪神大賞典を見た後の率直な感想だった。
胸騒ぎは悪い方に的中した。天皇賞・春。単勝1.3倍に支持されたオルフェーヴルだったが、全く見せ場なく11着に敗れた。フットワークは空回りし、気持ちと体がバラバラなのが見ていて分かった。
ある意味、肉体のスランプよりはるかに立て直しが困難な、気持ちのスランプ。池江師、池添騎手、放牧先の牧場がこの試練にどう立ち向かったのかは次回に記したい。