UMATO

2025年06月25日 (水)

 前回に続き、思い出のラジオNIKKEI賞で、もうひとつ。91年ラジオたんぱ賞を逃げ切ったツインターボを取り上げたい。

 「ウマ娘」で若い競馬ファンにも知られるようになったツインターボ。初めて重賞を制したのが、この一戦だ。キャリア5戦目。11頭中5番人気での快勝だった。

91年ラジオたんぱ賞を逃げ切ったツインターボ(左)©スポーツニッポン新聞社

 鞍上は大崎昭一騎手。すでにダイシンボルガード(69年)、カツトップエース(81年)でダービーを2勝と大一番に強かったが、基本は玄人受けする名バイプレーヤーの位置づけだった。

 ゲートが開く。初速こそひと息だが、二の脚を利かせてツインターボがハナに立った。「この馬は逃げるしかないから」。笹倉武久調教師が事前に明かした通りの競馬を展開した。

 1000メートル通過は58秒9。平均~やや速めのペースだろうか。だが、ツインターボは涼しい顔で4角を迎えた。むしろ、手が動いているのは後続各馬の方だった。

 内ラチぴったりを回り、直線へ。ラチ沿いギリギリには、芝の生えそろっている部分が残っていた。懸命にそこを通らせる大崎騎手。そのかいあってツインターボの脚は衰えず、後続は迫ることができない。1馬身半差、逃げ切ってツインターボは初重賞のゴールを切った。

 大粒の汗をしたたらせながら満面の笑みで引き揚げてきた大崎騎手。「少しでも馬場のいいところを通らせたかったんだ。3コーナーで誰も来ないので、しめしめと思っていたよ」

 そこに笹倉師が握手を求めに来た。「昭ちゃんよ~。やっとやってくれたねー」。師と大崎騎手は競馬学校ならぬ馬事公苑の同期。ともに63年(昭38)デビューだった。

 先に調教師へと転身した笹倉師は大崎騎手にたびたび騎乗を依頼したが、勝つには至らなかった。「これまでがひどかったからねえ。それがいきなり重賞とは驚くよ」。大崎騎手も笑顔で返す。「そうそう。笹倉厩舎とは相性が悪くてね。これが最初の白星か」。少々、悪い言葉でのやりとりだったが、それが同期の絆を感じさせた。報道陣の求めに応じ、笑顔と握手で写真に収まった。

 報道陣の前で展開した、その後のやりとりも爆笑ものだった。

 「これで十分。夏はもう休ませて、秋に備えるよ」(笹倉師)

 「ええっ?関屋記念にぶつけても面白いと思うけどなあ。まあ、気性面の成長があれば秋も面白いからね。楽しみにしてるよ」(大崎騎手)

 ちなみにツインターボの秋初戦はセントライト記念。大崎騎手を背にストロングカイザーの2着に逃げ粘った。次走で菊花賞を勝つレオダーバンを3着に封じたことは記しておくべきだろう。

 「逃げのツインターボ」の名を一躍、世に知らしめた一戦。ちなみに鞍上を中舘英二(現調教師)へとスイッチし、七夕賞、オールカマーで伝説の逃走を披露するのは、この2年後のことだった。

 また、この日はラジオたんぱ賞(ツインターボ)、札幌記念(メジロパーマー)、中日スポーツ賞4歳S(コガネパワー)と3場メインは全て勝ち馬は逃げ切り。メジロパーマーの1角の記録が「2番手」なのが惜しいが、並んでの先頭ではあった。ツインターボが“全国デビュー”を果たすにふさわしい日であった。

鈴木正 (Tadashi Suzuki)

1969年(昭44)生まれ、東京都出身。93年スポニチ入社。96年から中央競馬担当。テイエムオペラオー、ディープインパクトなどの番記者を務める。BSイレブン競馬中継解説者。

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