当コラムの題材探しにと、今週行われる北九州記念の歴代勝ち馬を調べていたところ、懐かしい馬名が目に飛び込んだ。00年優勝馬トゥナンテ。松元省一厩舎(08年解散)で重賞を3勝。00年天皇賞・秋ではテイエムオペラオー、メイショウドトウに次ぐ3着に食い込んだ。
ただ、今回はトゥナンテのことではない。管理していた松元省一師について書きたい。
91年ダービー馬トウカイテイオーを筆頭に、03年牝馬3冠スティルインラブ、名スプリンター・フラワーパークなどを管理した、栗東きっての名トレーナー。定年まで2年を残し、08年2月をもって勇退した。
常に坂路に陣取り、厳しい表情で管理馬の動きに目を凝らしていた。恐る恐る近づき、当該週の出走馬について話を聞くのだが、少しでもピント外れの質問をすると、サッと表情が曇った。

ある日は、質問するタイミングがよほど悪かったのか、「今は調教中だ。後にしたまえ」と一喝された。原因は明らかにこちらにあるので、意気消沈しながら、すごすごと引き揚げ、調教助手のコメントで原稿を仕上げた。
勇退を発表した07年10月12日。師は記者会見の席でこう話した。「私はよく“後で来い。午後に厩舎に来い”と言った。だが、来た人はあまりいなかった。時間に余裕のある午後なら馬の状態や調子について、じっくりと話すことができる。その機会がなかなかなかったことが残念だ」
自分もその記者会見の席にいた。鼓動が早まるのが分かった。自分も明らかに「来なかった人」の1人だった。
猛烈に後悔した。午後に松元省師のもとを訪れなかったことをだ。師はきっと記者たちが現れるのを心のどこかで待っていたのだ。お茶でも出して、あいつらにゆっくりと話をしてやろうと思っていたのだ。自分は、師のそんな思いを知らず知らずのうちに裏切っていた。
記者の午後は原稿執筆で忙しいが、それは言い訳だ。少しくらい原稿が遅くなってもいいから、師のもとを訪れ、管理馬だけでなく、師の歩んできた人生などについても聞いておくべきだった。
師がこんな話をしてくれたことがある。師は同志社大卒業後、競馬の世界に入る前、自動車販売の営業をしていた。
ある時、自社の車を買ってくれそうな人を見つけた。師は来る日も来る日も、その人の自宅の前で「松元です。ぜひ我が社の車をご検討ください」と懇願したという。
そんな地道な営業が2カ月ほど続いたある日。「君には根負けしたよ」と言って、車を買ってくれたという。「あの時はうれしかったなあ」。坂路の調教師席では絶対に見せないような柔和な笑顔を浮かべた。

君たちも簡単には諦めるなよ。営業にも取材にも粘りは必要だ。その先に大きな収穫があるはずだから。師はそんな自らの信条を教えてくれたのだ。
古い「優駿」(91年6月号)を眺めていたら、トウカイテイオーでダービー制覇に挑む直前の松元省師が、取材記者にこんな言葉を紹介していた。
庭上の一寒梅 風雪を浸して笑って開く
争わず又努めず 自ら占む百花の魁
同志社を設立した新島襄が最晩年に詠んだ漢詩。さまざまな文献を当たったところ、「庭先の一輪の寒梅が、風雪にさらされながらも笑っているような風情で咲いている 争っているわけでも、頑張りすぎているわけでもない それでもあらゆる花に先駆けて咲いている」という意味のようだ。
肩の力を抜き、ひょうひょうと仕事に当たりながら、気がつけば名馬を送り出している。そんな姿が松元省師の理想だったのかもしれない。師はまさに、一輪の寒梅だった。