高崎競馬場跡地の4コーナー付近で、当時の競馬場を知る紳士と出会い、すっかり当時の競馬場へとタイムスリップしてしまった。
紳士の思い出トークは続く。当時の競馬場、熱気はありましたか?「いやいや、人はいなかったよ。寂しいもんだった。誰かが馬券をそれなりに買うと、いきなりオッズがガクンと動くんだ。それだけ、買う人もいなかったということかな」

おっとっと。いきなり現実へと引き戻された。ただ、それが競馬場の真実だったのだろう。「今も毎日、この遊歩道を歩いています。今日は懐かしい気持ちになれました」。紳士の言葉は最後までスマートである。こちらも感謝の言葉を繰り返し述べ、紳士はゴール前へ、筆者は3コーナーへと分かれて向かった。
桜の木は元気いっぱいだ。春は遊歩道をピンク色に染めるのだろう。五感を研ぎ澄ませていたら、美浦トレセンと同じような、独特の馬のにおいがしてきた。この地から馬がいなくなって、もう20年以上が経過する。自分の鼻がノスタルジーモードになっているのか、それとも土に馬のにおいが本当に残っているのか。まあ、前者なのだろう。

向正面に到着した。完全なる住宅街。居酒屋があったり、喫茶店があったり。ここで馬具を扱う店でもあればすぐに飛び込むのだが、残念ながらなかった。
ただ、恒例の“アレ”を発見した。「競馬場通り」の案内板である。そう、昔も今も向正面の道路は「競馬場通り」なのだ。
宇都宮にも競馬場通りは存在し、目黒では「元競馬場」の交差点が健在だった。意外にも、競馬場が廃止されても、競馬場と名がつく地名はすぐには消えないのかもしれない。
こういうことなのだろう。地元の人は「今、そこには競馬場はない」ということは100パーセント知っている。また、競馬場通りの名があっても「競馬場があると思って、ここに来てしまった」など奇特な苦情を言うビジターもいない。つまり、誰にも不都合がないので「競馬場通り」の名は生き続けるのだ。これは新たな発見だった。

そんな人生の役に全く立たないことを繰り返し考察しながら2~1コーナーを回り、旧ゴール付近へ。ドデカいGメッセを左に見つつ、こぢんまりとした2階建ての建造物へと足を踏み入れた。場外馬券売り場「BAOO高崎」である。

この日は園田と船橋の馬券を売っていた。フロアにいたのは警備のオジサンただ1人。いきなり緊張が高まったが、ベテランのお客さんが1人、入ってきて監視の目が緩んだ。よかった。
フロアの片隅で喉を潤す。旧競馬場は1周1200メートルだったから、猛暑の中、1キロ程度はゆうに歩いてきたことになる。ホッとひと息ついていると、騎手の写真がいっぱい貼られたホワイトボードが目に入った。
矢野貴之、加藤和博、野澤憲彦、藤江渉の4騎手。いずれも北関東競馬出身で今も南関東で奮闘するジョッキーだ。内田利雄元騎手の写真もあり「46年間、お疲れ様でした」の言葉が添えてある。恐らく、昨年末に引退した森泰斗元騎手(現調教師=足利競馬出身)の写真もあったのだろう。


北関東競馬。今も残っていたら、確実に存在感のあるものだったに違いない。廃止されたのは痛恨の極みだが、こうして訪ね歩くことで、競馬場っていいものですよ、これ以上なくしてはいけませんよ、ということを間接的に伝えられたらうれしい。あの紳士が、その大事なことを教えてくれたように思う。