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2025年11月05日 (水)

 先月23日、プロ野球のドラフト会議(新人選手選択会議)が行われた。プロ注目の立石正弘内野手(創価大)は3球団の強豪の末、阪神が当たりくじ(交渉権)を引いた。立石が来るのと来ないのとでは大違い。球団経営には運の要素も大きい。

 競馬も運に左右される競技だ。勝負どころで前が空くのも運。後方から進んでペースが向くのも運。運とは何か、というテーマで後藤浩輝騎手とじっくり話したことがあるが、“運の勝負”に持ち込むまでの努力が大事で、努力をしない人は運について語る資格はない、という結論を後藤騎手は導き出した。彼は努力を怠らない男だったが筆者は現状、運について語る資格はないだろう。

 競馬記者歴の中で、“問答無用の”運がさく裂した瞬間を見たことがある。97年5月30日。美浦トレセンで行われた第64回日本ダービーの枠順抽選会でのことだった。

 その前に状況を説明しておこう。この年のクラシック戦線の主役はメジロブライト。父メジロライアンはダービー2着。“メジロの夢”をかなえてほしいという判官びいきも加わって、皐月賞は1番人気となった。

 メジロブライトを除けば群雄割拠の様相。弥生賞馬ランニングゲイル、毎日杯2着で“関西の秘密兵器”感の漂うヒダカブライアンなどがいた。

97年ダービーを逃げ切った大西直宏騎手とサニーブライアン©スポーツニッポン新聞社

 そんな中で11番人気ながら皐月賞を制したのがサニーブライアンだった。大外18番から、あっと驚く逃げ切り。大西直宏騎手は当時、重賞勝ちがアラブでの1勝しかなく地味な存在。1000メートル通過が61秒1というスローペースだったこともあり、皐月賞制覇はフロックとの見方が大勢を占めた。

 しかし、大西騎手は報道陣に囲まれるたびに同じ言葉を繰り返した。「この馬は強い。僕はそのことを信じている。今回も逃げるだけです」

 ダービーウイーク、大西騎手がそっと教えてくれた。この馬は外からかぶせられることを非常に嫌がる。皐月賞は大外だったことで、かぶされる心配がなかった。それが勝てた要因だ。ダービーでも大外を引きたい。引ければチャンスだと思う。

 レース前々日の枠順抽選。大西騎手は自ら抽選器を回すべく会場に現れた。大西騎手の“ささやき”を聞いていた記者たちは玉が転がり落ちる先を凝視した。「18、来い!」

 抽選器を回す。こぼれ落ちた玉に書かれた数字は…「18」だった。

 目を見開く報道陣。「よしっ」。大西騎手は小さく声を上げ、右手で軽くガッツポーズした。

 「おかげさまで思い通りの枠を引けたよ。皆さんの期待を裏切らないようにしたいね。作戦は今まで通り。逃げるだけ」。2度続けて「18」を引く確率は324分の1だ。「こんなことって…あるのかね」。報道陣は324分の1の奇跡がさく裂した瞬間を目の当たりにして、半ば興奮気味に記者席に向かった。

 迎えたダービー。サニーブライアンは大外18番からスムーズにハナを奪った。12秒台中盤のラップをきれいに刻んでいく。直線を迎え、力強くスパート。後続は全くついてくることができない。ようやくシルクジャスティスが追い上げてきたが、1馬身差まで迫るのが精いっぱいだった。大西騎手はゴールの瞬間、馬上で立ち上がり、何かを叫んで右腕を上げた。

 324分の1の運を生かし切り、見事、ダービージョッキーとなった大西騎手。後日、「あの時の大西さんはツキまくってましたね」と話しかけると、ダービーウイークの裏話をしてくれた。

 毎晩、寝床に入るたびにダービーのゲートインを思い浮かべた。自分が逃げる、向正面をこう運ぶ、直線入り口でスパートする、などとシミュレーションを重ねたという。負けたらもう1回。勝って、ようやく寝ることができる。レース本番は、眠りに入る直前に頭に描いた展開をそのまま遂行するだけだった。

 今思えば、後藤騎手の言った通りだ。大西騎手は事前に準備を重ねるタイプだったから、324分の1の奇跡を呼び込めた。努力をしない人には運もツキも回ってこない。競馬は人生にとって大事なことを教えてくれる。そう痛感したダービーだった。

鈴木正 (Tadashi Suzuki)

1969年(昭44)生まれ、東京都出身。93年スポニチ入社。96年から中央競馬担当。テイエムオペラオー、ディープインパクトなどの番記者を務める。BSイレブン競馬中継解説者。

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