今でも申し訳ない気持ちでいっぱいである。02年ジャパンカップ。東京改修のため中山競馬場で行われた、この一戦を筆者は厩舎関係者席で見ていた。
イタリアのファルブラヴと米国のサラファンが鼻面を並べてゴールする。直後、サラファンの鞍上コーリー・ナカタニがこちらに向かってガッツポーズをしたように見えた。鼻差の接戦でも騎手はどちらが勝ったか分かっているという。筆者はサラファンが勝ったのだと思った。

検量室前に向かう階段を下りていた時、サラファンの厩務員に声をかけられた。連日、外国馬取材をしているとスタッフの顔はだいたい覚えるものである。
「オレの馬、勝ったかな?」。「たぶん勝ったよ。おめでとう。コーリーがポーズを決めていたじゃないか」。「そうか!ありがとう」
その数分後、長い写真判定の末に1着の欄にファルブラヴの優勝を示す「1」が点灯するのである。ああ、あの厩務員に悪いことをした。その後、ファルブラヴの関係者に話を聞きながらも、心はずっとサラファンの厩務員のことでいっぱいだった。
日本競馬史に残る一戦だったと思う。ジャパンカップは当初の「外国馬の強さを目の当たりにして、日本の競馬全体の底上げを目指す」という狙いをすっかりクリアし、98年エルコンドルパサーからスペシャルウィーク、テイエムオペラオー、ジャングルポケットと4年連続で日本馬が制覇。「当分、外国馬の出る幕はないだろう」という雰囲気に包まれていた。
この年も1番人気シンボリクリスエスを筆頭に、ナリタトップロード、ジャングルポケット、ノーリーズンと4番人気までを日本勢が占めた。外国馬が勝つなんて誰も思っていなかった。
ところが、そんな日本のファンの“傲慢さ”に冷や水をぶっかけたのが前述の2頭だ。9番人気馬と11番人気馬で鼻差の名勝負。日本馬はどこへ行った。筆者は傲慢な思いを恥じたし、“世界”の凄みを改めて感じ取った。
ファルブラヴ陣営の記者会見は、それはそれは感動的だった。殊勲のランフランコ・デットーリ騎手は「まるで夢のようだ。ジャパンカップを2日連続で勝てるなんて、私は世界一、幸せな男だ」。前日のジャパンCダートでは5番人気イーグルカフェをVに導いていた。どう見ても、デットーリの卓越した技術による2日連続制覇だが、名手は「運がいい」と話した。
この馬に騎乗した経緯も興味深いものだった。ルチアーノ・ダウリア調教師は、デットーリの父であり騎手のジャンフランコを管理馬によく乗せていた。その関係でデットーリは子供の頃から厩舎に出入りして遊んでいたという。
「フランキーよ、今年のジャパンカップに乗り馬はいるのかい?いないのなら、オレの自慢の馬に乗ってくれよ」「オヤジさん、もちろん乗るよ」
子供の頃をよく知るとはいえ、今や世界一の騎手だ。こういう機会でなければ、なかなか騎乗を依頼できない。親愛の情がこもりつつも控えめな指揮官の依頼ぶりもいいし、デットーリの返事にも愛情があった。
余談だが、イタリアでファルブラヴの主戦を務めたのはミルコ・デムーロやダリオ・バルジューといった親日家ばかり。日本とは元々、縁があったのかもしれない。
ああ、それにしても…。サラファンが優勝してもファルブラヴのような「いい話」はあったはずで、それを聞きたかった思いもある。






