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2025年12月02日 (火)

 近年、出走表に「休養理由・屈腱炎」と表記された馬が多いことに皆さんは気付いているだろうか。

 かつては競走馬にとって“不治の病”とされていた屈腱炎。何頭ものスターホースが、そのキャリアを断たれてきたわけだが、その屈腱炎は不治の病ではなくなりつつある。

 そのきっかけというか、治療法を大きく前進させた馬が05、08年ジャパンカップダート(現チャンピオンズカップ)優勝馬、カネヒキリだ。

05年ジャパンカップダートを制したカネヒキリ(左)

 カネヒキリは02年生まれ。金子真人オーナーに同年セレクトセールで競り落とされ、角居勝彦厩舎(解散)へと入厩した。

 芝ではからっきしだったがダートで才能を発揮。3歳限定GⅠを連勝し、05年ジャパンカップダート、06年フェブラリーステークスと連勝。日本ダート界のトップに立った。

 だが、ここから先がカネヒキリの本当の競走馬生活、苦難の道のりのスタートだった。

 06年9月。右前脚の屈腱炎が判明した。

 カネヒキリが受けたのは「ステムセル(幹細胞)手術」。当然ながら人間への治療から始まったもので、患者自身の体から採取した幹細胞を培養、加工し、病気やケガで損傷した組織の修復、再生を目指す治療法。いわゆる再生手術、再生医療と呼ばれるものである。

 人間の世界で再生医療が本格的に導入されたのは00年頃らしいが、その2年後にはJRAの競走馬総合研究所が、この医療の研究を始めている。

 実際に幹細胞医療を初めて行ったのは06年、同じく角居厩舎に在籍したフラムドパシオンだった。術後の経過はうまくいき、08年に同馬は戦線復帰。5戦を消化し、2勝を挙げた。

 カネヒキリが最初の屈腱炎を発症した頃の医療の状況は、このような感じだった。まだフラムドパシオンはリハビリの時期であり、再生医療はいまだ手探りだった。

 それでもカネヒキリにとって運が良かったのは角居厩舎に在籍していたことだ。前述のようにフラムドパシオンの症例を体験し、わずかながらもノウハウがある。金銭的負担が大きいことは明らかだったが、金子オーナーは再生医療の道を熱望したという。これまで誰も歩んだことのない道へ、足を踏み入れようとした。金子オーナーらしい、強い意志がそこにあった。

 カネヒキリへの手術が行われた。尻から幹細胞を採取。その組織をある会社に送り、幹細胞を取り出してもらう。その幹細胞を患部に注射し、損傷個所の再生を待つのだ。

 術後の経過は良好だった。翌07年夏には函館競馬場で調教を再開できるまでに回復した。

 だが、9月に同じ部位に炎症が見つかる。2度目となると、さすがに厳しいと思われた。だが、ここでも金子オーナーが強く要望し、社台ホースクリニックで2度目の手術が行われた。

 当時のリハビリが難しかったであろうことは容易に想像がつく。再生医療明けの馬など誰も乗ったことがないのだ。どの時期に運動を始めればいいのか、人を乗せるタイミングは?キャンターはいつから?全てが手探りだ。

 馬は当然ながら「痛い」「違和感がある」などと言えない。全て人間が観察して判断するしかない。

 よく、トミー・ジョン手術明けの投手が人差し指や中指を動かすところから地道なリハビリを始める映像を見るが、本当にあの世界なのだろうと想像する。

 そして08年11月、武蔵野S。患部に2度の再生医療を施されたカネヒキリは864日ぶりに競馬場へと復帰。9着に敗れはしたが、ファンの前に元気な姿を見せたのだった。

鈴木正 (Tadashi Suzuki)

1969年(昭44)生まれ、東京都出身。93年スポニチ入社。96年から中央競馬担当。テイエムオペラオー、ディープインパクトなどの番記者を務める。BSイレブン競馬中継解説者。

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