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2025年12月15日 (月)

94年朝日杯3歳Sを快勝したフジキセキ(左)©スポーツニッポン新聞社

 今週は朝日杯フューチュリティステークス。過去の優勝馬の名を見れば、名馬ぞろいであることに疑いはないが、中でも筆者の心に強く残るのは94年優勝馬フジキセキである。

 父譲りの漆黒の馬体、そして流星。桁違いのスピード。遠慮なし、お構いなしの闘志むき出しの走り。その父とは?そう、サンデーサイレンス。フジキセキはサンデーサイレンスの初年度産駒にして、最も父の特徴を引き継いだ馬であった。

 サンデーサイレンス産駒が競馬場に現れた時の衝撃は、もの凄かった。「ウマ娘」あたりから競馬に興味を持った方に、あの衝撃をどう説明すればいいのだろう。とにかく何から何まで走ってしまう、勝ってしまうのである。

 現代でいえば、たとえば種牡馬コントレイルもレイデオロも走る子はちゃんと走る。だが、サンデーサイレンスは「走る子は」という前提すらいらないのである。のべつ幕なし、全部走るのだ。

 94年6月18日、札幌の新馬戦。キタサンサイレンスが2番手追走からあっさり抜け出して、父に初白星を贈った。

 そこからは怒とうの勢いだった。7月9日の札幌新馬戦。母はダイナアクトレス。吉田善哉氏がサンデーサイレンス導入時に「最高級のノーザンテースト牝馬の全てに種付けする。たとえばダイナアクトレス」と名指しした、そのプライムステージが快勝した。

 続く札幌3歳Sでは前述のキタサンサイレンスを2着に従え、プライムステージが2馬身差の完勝。その時、「あっ、サンデーサイレンスというのは、これまでの物差しでは測れない種牡馬かもしれない」と思った。

 そんなタイミングで新潟に登場したのがフジキセキ。8月20日の新馬戦。派手に出遅れながらも直線だけで2着馬を8馬身突き放し、ファンを驚かせた。

 フジキセキは2戦目の、もみじSも危なげなく勝利。この時の2着馬は、のちのダービー馬タヤスツヨシである。説明するのも野暮だが、このタヤスツヨシもサンデーサイレンスの子だ。

 そして迎えたのが94年12月11日、朝日杯3歳ステークス(現フューチュリティステークス)である。

 「フジキセキ」という馬名には、さまざまな意味が込められている。

 「フジ」は富士山から。斉藤四方司(よもじ)オーナーは静岡県に基盤を置く、大昭和製紙(現日本製紙)の創業者一族。地元の誇り、富士山への思いは並々ではあるまい。

 「キセキ」は奇跡だけではないという。「輝石」であり「軌跡」の意味もあるそうだ。当時のスポニチ記者によれば、(席巻していた)外国産馬に負けるな、日本産の馬が頂上への軌跡をたどるのだ、という馬名だという。

 最初に「フジキセキ」という馬名を聞いたときは、ずいぶんと古風だな、サンデーサイレンスの子という感じがしないな、と思ったが、走ると分かれば、馬名もフィットしているように思えるから不思議である。

 それはさておき。父サンデーサイレンスに初GⅠ制覇をプレゼントすべく、フジキセキは角田晃一騎手(現調教師)を背にゲートイン、スタートをしっかりと決めた。続きは次回。

鈴木正 (Tadashi Suzuki)

1969年(昭44)生まれ、東京都出身。93年スポニチ入社。96年から中央競馬担当。テイエムオペラオー、ディープインパクトなどの番記者を務める。BSイレブン競馬中継解説者。

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