1年の締めくくりに(というわけでもないが)岐阜県・笠松競馬場を訪ねた。
皆さんご存じ、伝説のオグリキャップを、そして不世出の名手・安藤勝己騎手を生んだ、中京地域の競馬の雄である。
その笠松競馬場に、そろそろ大変革の時が訪れるらしい。「旧厩舎地域閉鎖→新厩舎へ全馬移転」というビッグプロジェクトが26年度末の完了に向けて着々と進行中というのだ。

笠松の厩舎地区に関しては、うっすらと記憶にある。厩舎が競馬場から遠く離れたところにあり、民家の間を競馬場に向かって馬が毎朝、大移動。競馬場の隣にある土手と、土手沿いの一般道を横断するというダイナミックな光景を夕方のニュースワイドで見た。
ただ、これぞ珍風景だと喜んではいられない。その特殊な事情から笠松では移動中の放馬は即、一般人との接触の危険をはらむ。13年には競馬場から逃げた馬と軽乗用車が衝突。軽乗用車を運転していた男性が死亡するという痛ましい事故も起きた。

つまり、笠松競馬にとって厩舎の移転は喫緊の課題だったのだ。
競馬場から1.5キロ離れた通称「円城寺(地区)厩舎」から競馬場に隣接した「薬師寺(地区)厩舎」への移転こそが競馬場の悲願。それがかなうことは非常にめでたいが、旧厩舎群も今のうちに見届けておきたい。そんな気持ちで休日、新幹線に飛び乗った。
名古屋駅に到着。名鉄に乗り換えて笠松へと向かう。木曽川を渡ると競馬場が見えた。笠松を訪れるのは03年春、JRAへと移籍する安藤勝己騎手(引退)を取材した時以来である。22年ぶりということになるが、一見して、当時とほぼ変わっていないことが素晴らしい。
いや、変化はあった。笠松駅を下りると、「ウマ娘」のイラストがあちこちに。ウマ娘をきっかけに笠松にファンが来てくれるのであれば、それはそれで素晴らしい。馬券もたっぷり買ってもらいたい。
22年ぶりの笠松競馬場は何も変わっていなかった。駅からずいぶんと細い道を行き、入り口もシブい。門のそばの住宅の庭に柿がなっている。最高だ。府中や大井では味わえない何かがここにはある。

急に思い立って来たこともあり、残念ながらこの日は非開催日。場外発売のみで人など全くいないかと思ったら、オジサンがぽつぽつといらっしゃる。頼もしい限りだ。
オグリキャップ像を愛で、競馬場を出る。今回の目的である円城寺厩舎へと向かう。
競馬場と円城寺厩舎を結ぶ道路はすぐ分かった。整然と長方形に区切られた街にあって、不自然に斜めに横切る道がある。これだろう。その“不自然な道”に到着すると、お目当ての1つが見つかった。「専用馬道」である。
車道、歩道の外側、完全に分離する形で道が1本、併設してある。その道だけ、馬の蹄からこぼれであろう砂がこびりついている。トレセンで何度も見た、馬が通る道の特徴だ。間違いない。ここを毎朝、多くの馬が行き来しているのだ。

一般道と交差する場所はきちんと閉じてあり、人が入れないようにしてある。周辺の電信柱には「馬通行注意」の看板。このあたりに住む方々にとってサラブレッドは見慣れたものだろう。
自宅の玄関を修理していた、筆者よりやや年齢が上とみられる紳士に声をかけてみた。毎朝、自宅のそばを馬が行き来する生活、いかがですか?
「もう慣れちゃって何とも思わないよ。馬がいなないたから早くに目が覚めちゃった、なんてこともないね」
--円城寺厩舎は移転するそうですね。
「もう移動が始まっているよね。自分はここに住んで40年ほどになるけど、当時は住宅がぽつぽつで、あとは一面の田んぼだったんだ。そんなのどかなところだったから馬と人間が併存できたのもある。近年、田んぼが次々と住宅に変わって、馬と人との距離が急速に近くなって、それで(厩舎が)移動を余儀なくされた、というのもあるのかな。僕は何の不便も感じていないんだけどね」

--横に馬を見ながら駅まで歩いて通勤というのもオツですよね。
「いや、駅まで歩いたことなんか1度もないよ。通勤は名古屋まで車だよね」
最後はクルマ社会・ナゴヤの真実を見た思い、勉強になった。
次回に続く。






