1月12日の当欄でフォーエバーヤングが年度代表馬に輝いたことについて書いた。その際にフォーエバーヤングの血統表を見て、改めて感じたことがある。
母の父の父、エーピーインディ。問答無用の大種牡馬だが、この馬を所有したのは日本人の鶴巻智徳氏だったのだ(長く競馬をしている人には今さらという話ではあるが)。
競馬の世界最高峰に日本調教馬がついに立った、その馬の母系の重要なピースとして日本人所有馬がいる。そのことに、日本競馬が積み上げてきた歴史、重みを感じた次第である。

鶴巻氏は典型的なバブル期の新興実業家だった。不動産開発などで財を成し、F1誘致を夢見て、大分県日田市の山林を切り開き、サーキット(オートポリス)を完成させた(F1は結局誘致できず)。高い絵画も購入し、何かと話題を集めたが、1992年(平4)に事業は行き詰まり、あっけなく倒産した。
事業における最終的な成功は手にできなかった鶴巻氏だが、競馬に関しては破天荒な成功を収めた。
リンドシェーバー(88年米国産、父アリダー)は89年の米国内でのセールで鶴巻氏(の代理人)が競り落とした馬だ。90年朝日杯3歳ステークス(現朝日杯フューチュリティステークス)を快勝。勝ち時計1分34秒0は、76年にマルゼンスキーがマークしたレースレコードを0秒4も更新する破格のものだった。
翌90年のセールで鶴巻氏はさらなる大物を釣り上げる。それがエーピーインディ(89年米国産、父シアトルスルー)だった。
ちなみにこのセールではエーピージェットも購入。こちらはJRAでデビューし、92年京成杯を制している。2頭合わせて490万ドル(当時約7億円)だった。
エーピーインディは泣く子も黙る名調教師、ニール・ドライスデールの元で順調に出世していった。5連勝でサンタアニタダービーを制覇。ケンタッキーダービーこそ回避したが、3冠最終戦のベルモントステークスを優勝。その後2戦を挟んでブリーダーズカップクラシックを制した。そう、フォーエバーヤングが優勝した米国の最高峰である。
米国の競走馬としての栄誉を全て手に入れたエーピーインディは、この一戦をもって引退。種牡馬入りして素晴らしい産駒を数多く残した。
そのエーピーインディからコングラッツ、フォーエヴァーダーリングを経て生まれたのがフォーエバーヤングというわけだ。
これも今さらだが「エーピー」とは鶴巻氏がF1開催を夢想した「オートポリス(Autopolis=造語で「車の都市」)」から来ている。オートポリスというサーキット自体は今も健在だが、バブルの香り漂う馬名が令和の今、世界最強馬の血統の中にさん然と輝くというのも味わいがある。
鶴巻氏に限らず、一般的にバブル紳士が買い求めたものの中で、絵画は価値こそ上がるかもしれないが基本はその1作のみ。建造物や自動車は年月を経れば傷む。
だが、競走馬は繁殖に上がれば子孫を残していくのである。他にもあるかもしれないが、筆者が思い浮かべる中では希有の「のちに、もう一度、あるいは2度3度、開花する可能性のある高価な買い物」。それが競走馬ではないか。
有馬記念を勝ったミュージアムマイル。この馬の母系をさかのぼると、シンコウラブリイの母ハッピートレイルズに行き着く。シンコウラブリイは安田修氏の所有馬。同氏はバブル期に競馬に本格参入した実業家だった。
シンコウラブリイの活躍により、ハッピートレイルズは輸入され、代を経てミュージアムマイルが登場する。考え方によっては、バブル期の新興馬主の奮闘が、現代競馬で活躍する馬の絶妙なアクセントになっている、ともいえる。
バブル崩壊によって日本経済はどん底に陥った。今もその後遺症に悩まされている感もあるが、競馬の世界は少々違う。バブル期の投資がしっかりと日本調教馬の血統的強化につながっているのである。バブル紳士たちに感謝せずにはいられない。






