長く競馬を見ていると、“騎手がブレークした瞬間”に立ち会うことがある。レースを見終えた瞬間「あっ、これは重要な一戦だったな」という予感が走るのである。筆者は2度、体験した。
1度目は08年8月の新潟。北陸ステークスでハンデ49キロの8番人気、ダイイチミラクルが2着。鞍上・柴田大知騎手は同年1月に実に27カ月ぶりの勝利を挙げ、長いトンネルを抜けたばかりだった。メインレースで堂々と連対する様子を見て、これで騎乗依頼がさらに増えるはずだと確信した。

この2着を契機に柴田大知騎手がGⅠ制覇へと上り詰めていく様子は以前に当欄でも記したので、そちらを見てほしい。
2度目は10年、夏の福島・土曜のメイン、安達太良ステークス。田辺裕信騎手が松田博資厩舎のアドマイヤマジンに騎乗して勝った。6番人気だった。
中団待機からジリジリと上昇。勝負どころでインめをさばき、断然人気のストロングバサラを半馬身かわし切った。
当時の田辺騎手は9年目。美浦の一部の関係者からは高い評価を受けていたが、全国的にはまだまだ無名。それが松田博資厩舎という関西のトップステーブルから伏兵の依頼を受けて、勝たせた。何かが起こる予感がした。
10年といえばブエナビスタの全盛期。翌週、宝塚記念に出走する同馬の取材のため、栗東トレセンへと出張した。
ブエナビスタの話がひと通り終わった後、筆者は松田博資師にこう話しかけた。「先生、田辺騎手、いいでしょ?」。最初はピンときていなかった師だが、福島、アドマイヤマジンとワードをつなぐと「ああ、あのジョッキーか」と合点がいった様子だった。
「すごくええなあ。ちゃんと乗ってきてくれるわ。チャンスがあったら、また頼みたいと思ってるで」
名調教師から力強い言葉を得て、筆者は弊紙に「田辺騎手、有力厩舎から高い評価」的な記事を書いた。美浦の騎手を少しでも後押ししたい一心だった。
ライバル紙の記者たちも同じ思いだったようで、この週、田辺騎手の記事が数本並んだ。
田辺騎手がブレークしたのは100%、本人の力によるものだが、栗東の関係者が彼の隠れた実力を知る上で、スポーツ紙が少しでも役に立てたのであれば、それはうれしいことである。
前述の言葉通り、松田博資師はそこから田辺騎手を積極的に起用した。翌月(7月)には新潟・柳都ステークスでタガノクリスエスに田辺騎手を乗せ、これも快勝。これで信頼がさらに増し、同年暮れの朝日杯フューチュリティステークスではタガノロックオンに田辺騎手を起用。15番人気の12着に終わったが、田辺騎手は初めてのGⅠ騎乗を果たすことができた。
その後も田辺騎手は関西馬とともに全国へと名を売っていく。初重賞制覇は11年アンタレスステークス。関西馬ゴルトブリッツとのコンビだった。初GⅠ制覇は14年フェブラリーステークス。栗東・村山明厩舎のコパノリッキーをVに導いた。16頭立ての16番人気。これで田辺騎手への高い評価は揺るぎないものとなった。
騎手はある種、イメージ商売の面もある。存在感を示し続けなければ騎乗依頼は舞い込まない。だからこそ、地味な存在だった騎手がブレークを予感させる騎乗を見せた時、スポーツ紙はそのことをしっかりと取り上げる必要がある。当然、記者には競馬を見る目が問われることになる。筆者も、そのような競馬に出会えた時は当欄できっちりと扱うつもりだ。






