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2024年11月21日 (木)

「大浦神社の秋季例大祭『競馬十二懸神事』」

投稿日:

(岡山県浅口市)毎年10月第1日曜日

地域の安寧と五穀豊穣、豊漁を祈願する国内唯一の特殊神事

夕日に浮かぶ三ツ山(三郎島)。寄島園地のある西海岸沖に位置し、高さ10mの山が規則正しく並び、干潮時には本土側から歩いて渡れます。

大浦神社は與田別命<ほんだわけのみこと>(応神天皇)、足仲彦命<たらしなかひこのみこと>(仲哀天皇)、息長足姫命<おきながたらしひめのみこと>(神功皇后)を御祭神としております。

宝暦11年(1761年)の火災で古書の大半を焼失したため、その昔を正確に知ることができませんが、伝えによると、仲哀天皇の御遺志を継いで神功皇后(息長足姫命)が三韓還御(250年頃)をなさった際、応神天皇(與田別命)・大臣武内宿祢・その他群臣を御供に、吉備国の寄島(現在の三郎島)に御舟を寄せられて天神地祇を奉祀されました。

「本殿」「祝詞殿、幣殿及び拝殿」「鳥居」が、国有形文化財に登録されています。本殿は入母屋造と切妻造の屋根を合わせた形状が特徴で、精巧な彫刻が​施されている県内一の大型社殿です。

その後(997年)安倍晴明が、寄島(現在の三郎島)に応神天皇・仲哀天皇・神功皇后の三神を氏神様としてお祀りしたと伝えられています。以来、地頭・領主・氏子の尊崇篤く、降って永禄年間(1559年)には細川下野守通董公(毛利氏の武将にして鴨山城主)が地頭・領家をして、三郎島から現在の大浦の地にお遷しになりました。

土曜日の宵宮のようす。千歳楽の上部には布団が飾られており、神々が降臨する際に受け止める役割をするという説があります。
昼前に大浦神社へ到着した奴・御船の一行。徐々に祭りの役者たちが神社へと集まります。

慶長5年(1600年)に細川氏が退去した後は、池田氏(鴨方藩主)が代々当社を尊崇され、文政7年(1842年)には11ヶ村に渉る氏子を有しました。明治2年、社名を「八幡宮」から「大浦神社」に改め、浅口市寄島町・笠岡市大島・里庄町の氏神様として現在に至っています。

この大浦神社の秋季例大祭は10月の第1土曜日と日曜日に斎行されます。
土曜日には14時より式典がとりおこなわれ、19時より寄島町の大浦・片本・早崎・中新開の四地区から千歳楽(せんだいろく)が​境内を練り歩きます。

青佐八幡神社にある御旅所出発した神輿の一行。約1時間かけて町内を巡り大浦神社へと向かいます。
神事で活躍する神馬たち。これからの大役を勤めますが堂々と物おじせず、悠然としています。

翌日曜日には朝の8時半からの神幸式から始まり、神輿の一行は9時15分に御旅所(青佐八幡神社)到着し、11時半に奴・御船が大浦神社に到着します。

また午後の1時からは夕方からの『競馬十二懸神事』にさきがけて昼競馬が行われ、1時10分には千歳楽が大浦神社へと到着。神輿の一行が御旅所を出発し、4時頃到着すると祭りの熱気が最大となり神輿、神馬、御船、奴、千歳楽により古式豊かな一大絵巻のような宮入神事が披露されます。

そして17時からいよいよ『競馬十二懸神事』が斎行されます。この神事は永禄2年(1559年)に細川通董が伊予国の川之江城から青佐山城に移ったおり、沖合の三郎島に鎮座する八幡宮を現在地の大浦へと遷座した際に、地頭株と領家株からそれぞれ20頭の神馬を出し、遷宮の行列に参列させたことに始まりました。

例大祭のクライマックス『競馬十二懸神事』2頭の神馬が馬場を12往復して競い合います。

当時は戦乱の世であったため、祭に多数の馬を参列させることが困難となり、旧暦8月朔日に両株から集まった馬を競争させ、各株から1頭づつの駿馬を選び競馬神事とし、これを取り仕切るのは地頭・領家の馬宰領で、この二人は一子相伝であり、この家に生まれた人しかなることができませんでした。

『競馬十二懸神事』は神馬2頭が馬場を12往復して競争します。勝敗は馬宰領が決定し、勝った騎手が弓と矢を持ち、拝殿前に設けられている的に矢を当てていきます。特徴的なのは、一般的な流鏑馬のように矢を放つのではなく、ゴツンと当てていくことです。この的射には、「神馬40頭から選ばれた2頭の神馬が競争し、さらに勝つということは、よほど大浦神社の大神様の御神威が宿っているのである、その騎手が的を外すわけがない。必ず当たる。必ず氏子は幸せになる」という願いが込められています。

本殿の前では凛々しき神馬が参拝者を出迎え、大浦神社と馬との関わりが密接であることを教えてくれます。

大浦神社

岡山県浅口市寄島町7756

アクセス
車◉山陽自動車道「鴨方」インターチェンジから南へ約15分
電車◉JR山陽本線「鴨方駅」もしくは「里庄駅」から、車で南へ約10分。

大浦神社の起源

大浦神社は、美しい瀬戸内海に面した寄島町に鎮座する八幡神社です。その昔、神功(じんぐう)皇后が三韓遠征凱旋の帰途、備中の国の沖合いに来ると景色の良い島々があったので、お立ち寄りになりました。この後、皇后が立ち寄られたこの小島を「寄島」と呼ぶようになりました。

そして、いつの頃からか不思議なことに、この島の西南の海中にひょっこり三つの小島ができました。里人は「この島は応神(おうじん)天皇・仲哀(ちゅうあい)天皇・神功皇后の三柱の神のお姿である」と敬い、「三ツ山」ととなえ、小さい祠(ほこら)を建てました。これが、大浦神社の起源であるといわれています。

鳥居の前の社号標(石柱)は岡山県出身の犬養毅元首相の筆による鳥居の神額の文字を拡大して彫ったものです。

取材後記…
大浦神社は勝守(かちまもり)が有名で神社のHPにある専用のフォームより取り寄せることができます。商売、試合、受験、病い、恋愛、そして自分に勝つ(克つ)!黄金に輝くお守りに刺繍された神馬のご神威をいただいてください。よし! 今週の日曜日はこの勝守を握りしめて……。
文/邦馬

取材協力・文章/写真提供
大浦神社
https://www.oourajinja.com
0865-54-2408

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